科学と哲学のUME式実ボク!

UMEのスパ天における実戦からチョイス、印象に残ったスパーを徹底解説!

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ポップン12~14

ポップン12いろは 再び最強に返り咲くために


リリースは2004/12/08。
振り返ってみて私はいろは~ADVENTUREが一番思い出として濃い。

プレイヤー全体との相対的な比較でいって、一番上手かった時期は恐らくポップン6~8の頃だったのだろうと思うが、
周りに追いつかれ、そして追い抜かれて迎えたこの作品以降、目標や課題を持って取り組み
本気で上手くなろうと頑張った分だけ、ここからの3年ほどで積み上げたものに対する思い入れが強いのだろう。


ちなみにカードネームは「IQレスラー」。
オフ会的な集まりで「どうも初めまして、IQレスラーです」というと
笑いが取れる鉄板ネタみたいになって味を占めたことを覚えている。


さて、まずは1作品空けて参戦となったIRである。
この頃から全曲紙使用になった。以前はBPM120台以下の曲等で気まぐれで使う程度のアバウトなものだったが
それではとても点数が足りず、BPM180くらいまでは全て紙をつけて微調整をいれていた。


それにしてもIRだけを取ってみても、語ることが多すぎる。
まず驚いたのは、マスターズHの全6コースを数回ずつやって
ある程度の水準で揃えて埋めた段階で、順位が10位とかそれくらいだったのだ。

以前の感覚でいえば3位か4位くらいまでいけるであろうスコアの水準で、10位とかそれくらい。
すなわちそれがそのまま、IR不参加の間に上がったレベルの分そのままだったのだろう。

私は今まで、一通り埋めた水準からスコアを必死で捻出するという取り組みをしたことがない。
なのでここから順位を上げる自信がこの時点では全くなく、こんなに勝負にならないのかと愕然とした。


そこからはとにかく必死である。あらゆる手段を尽くして100点でも多く捻出できるよう工夫するとともに
恐らく自分自身がIR期間中に上手くならないと、この差は埋まらない。
ドラムのスキル上げよろしく、この時期はとにかくIRしかやらなかった。
「チャレンジをやった100円でもしIRをやっていたら、その回で自己ベストが出ていたのではないか?」
と思うと、怖くてやれなかったのだ。


覚えている範囲では、なんとクレヨンしんちゃんで1個捨てオブジェをしたり、
(37同時押しの8分刻みに1回5が間に挟まるところがあり、その5が一生光らなかった)
結局ランダムでええやん、と気づきランダムにし、以降正規ミラーがしっくり来ない曲ではガンガンランダムを使う。
(とはいえ今見直すと、特徴的なのはアカペラくらいだったみたい)

そしてIRを1日みっちりやると、次の日は手が痛くてプレーできなかったのだが
この頃から夜アイシングをして寝るようにした。
氷水を握ってタオルを巻いて寝るだけで、そりゃもちろんなんだか恥ずかしい取り組みなのだが
たった5分の努力で連日IRをやり込める(絶対連日やりたい日はあるはず)のだから、とダメ元でやったことなのだが
これが見事に的中、連日やっても全く手が痛くないのだ。


今までどこかの期間でぱーっとスコアを揃えて終了、だったIRだが
今回は少しずつ地道に点数、そして順位を上げていく。

これまではIR終了くらいにようやく全曲のリズムを丸暗記できるくらいだったのだが、今回はかなり初期にその段階になり
ある程度の水準で揃えてからでも努力次第でまだまだスコアは伸ばせる、そして自分のポテンシャルもまだまだ捨てたもんじゃない、
とやるたびに実感が持てる、充実のIRだった。
上位をひとりずつ着実に捕まえていき、終了間際にはついにY.Sを捉えて3位に浮上、2位のTART先生まであとわずかとなった。



しかしここで、とても悲しい事件が起こる。
その日のことは今でも鮮明に覚えている。


IR最終日、私はべネクス松戸でHELLと遊んでいた。
もうIRはほぼやりきったという状況、ちょっとスコアが伸ばせる自信はなかったが
何かヒントが掴めたら、と思い足を運んだのである。


ああもう、書きたくない。
一息いれようと駐車場にいったらみんながいて、ちょっとだべっていたところでHELLに電話が。
話を聞くとどうもTART先生からで、HELLがなんだか怒っている。半笑いだが目が笑っていないというやつだ。
「いやそりゃもう見たら分かるに決まってるじゃないですか」とかなんとか。温厚な彼のこういう口調は、あまり聞かない。


慌ててIRを見ると、私はTART先生に大きく引き離されていた。そればかりか
HELLを総合で抜き1位となっていた。1日で1万点以上の更新である。
その段階でHELLにはピンときていたらしいが、私はその瞬間はちょっとわからなかった。
今スコアを見返すと、確かに不自然なものが多い。譜面があんなに拾えないタイプのTART先生にしては、高すぎる曲がちらほら。


私の知る限りでは最後の、IRにおける2人プレイによる不正であった。
それも「数コースに渡って」「2位の人間が1位を取る」という、もっとも悪質なものであった。
そしてやってしまった後に罪悪感に駆られて、HELLに電話をしたという経緯だったのだ。


HELLはこの事件に心底嫌気が差し、IR引退。
私にとってIRにおける最大の目標が、目の前で引退を決意した。少なくとも次回作のIRは、ちょっとやる気になれなかった。

私個人としては、TART先生という人間はとても好きだ。天然を絵に描いたような人で、まー一緒にいて会話がかみ合わず面白い。
聞けば仕事の多忙さその他様々なストレスに苛まれての行動だったようなのだが、もちろん絶対に許せないことであるとともに
なぜ彼がこんなことをしたのか、理解ができなかった。


彼の1位が不正によるものだ、という事実は、広く公になることはなく、主に上位陣とその周りにて話が留まることとなった。
当時IRをやりこんでいた人間、それこそ例えばねじやTOBAは覚えているんじゃないだろうか。
緘口令を敷いてやる義務なんてこちらにはないし、それどころか我々は被害者だ。
しかし一人の個人、しかもそれなりに親しい一個人が、あまりにも過剰に
不特定多数に悪評を広げてしまうことも、本意ではない。


ではなぜ、今になってこんな話をここに暴露しようと思ったのか。
どう考えても、「書かずにいられなかった」以外に、説明のしようがない。
自意識過剰もいいところなのかもしれないが、これを今記しておくということのどこかに
当時を精一杯生きた人間なりの、義務のようなものを強く感じたからなのだろう。
それが正しいのかどうかまで、ちょっと考える余裕がなさそうだ。


さて、IRだけでこんなに長くなってしまった。
IR終了後に新要素が解禁。一世を風靡することとなる、ネット対戦モードである。

ネット対戦初日は(今は無き)池袋フジでだーくと2人で篭ってプレイ。
これはオジャマなしでやるもんなんだろうなーと思って1クレ目からオジャマを全て外したのだが、
初日ということもあり基本みんなフル装備。
フジタカとTOBAを同時に引いたが、両者ともにフル装備。TOBAにDDRの低速中にバラスピ打たれた。
(1週間後くらいにやけに神妙にメッセで謝られた)


自分としては、なんだか裏切られた気分でとても不満だった。
しかしレギュレーションとしてなんら違反をされているわけではない、ただのこちらのわがままである。
だからしょうがないと思いつつ、ガチ3人でのネット対戦ができたら絶対すごく楽しいのにと
それを追い求めるだけの理由でクレジットを積み重ねる。


この日の最後、だーくのプレイにて、新潟のランカーDON!氏を引く。
最後まで非常に熱戦、確かミスティEXだったと思うがだーくが自己ベストを出す。
力の拮抗した両者が戦う中でお互いが自分の限界を超えた力を引き出せる、という、
いわゆるミックスアップというやつが起きていた。


こんな見ているだけでも楽しい対戦ができるなら、実現までにお邪魔をどれだけ打たれようとも
自分はこれを追い求めるためだけでもネット対戦に入ろう、と思った。
とはいえやはり、お邪魔を耐えて凌ぎ続けるのもやる気が充実しているときでないといかにも辛い。
なので両立させて、発狂練習にも取り組んでいくこととした。


この時期、43というプレイヤーが釈迦EXフルコンを達成。
これがあまりに革命的すぎてみんな真似した。結果恐らくこの作品内に20人近くの釈迦フルコン者が現れる。
どれちょっと俺もやってみるか、とやったところ、フルコンは結局できなかったのだが
それより妙に点数が伸びている。

指が使えるようになった効果が、このレベルの譜面でもはっきりプラスに現れたのである。
そしてオイ0を試しにやってみたが、何度やっても9万点を割らない。
(「あなたまだ全一だよー」とかってI.MCに褒められた)


長く縛られ続けたオイ0の呪縛から、勝手に自分で自分を縛り付けていたものから、ようやく解き放たれたような気がした。
これで晴れて、自信をもって選べるんだ、と。
この頃からグランヂランダム練習などもちらほらと始める。
発狂でもまだまだ戦えるんじゃないか、と自信がついたのだ。


イベントとしては、友人の帰省に乗っけてもらい
ラオウの地元静岡の藤枝ミラクルに、2泊3日の遠征にいった。
この3日間のラオウとの店内三昧は非常に楽しく、いい刺激になった。
というか静岡の人たち、会話が楽しすぎるんだよね。

ラオウと最後にあったのは確か第8回だか9回だかの裏塔劇のとき(トライ入り口付近でばったり会った)だと思う。
彼は上位陣最年長プレイヤーとして長いのだが、まあどうせまだやっていることだろう。



ポップン13カーニバル 屈辱と衝撃の第1回トプラン


2005/09/07にリリース。今回はIRは不参加。
IR粘着は確かにスコア力の向上にはよいものの、明らかに発狂を拾えない譜面の取り方にもなるので
毎回やるのはバランスが悪いかな、という実感もあり今回は見送り、発狂練習に重点を置くことに。


特にカーニバルからは超チャレンジモードが実装。COOL判定ありのチャレンジモードである。
これで全曲のCOOL判定のスコアの自己ベストが残るようになったこともあり、IRに固執する必要がなくなったともいえる。
稼動直後はとにかくメルトEXとメガネロックEXをやりまくっていたらしい。
あかお氏に撮影していただいたメガネロック99の動画(22-0-0だっけな)がちと好評だった。


初~中期はどちらかというと、同時期の2DX HAPPY SKYを頑張っていた。こちらは唯一DJポイント上げに取り組んだ。
とはいえドラムマニアと違い全曲埋めが必要なDJポイントはいかにもしんどい。
結果的には未フルコン100曲近く残して終えてしまう。これはちょっと私の手には負えなかった。


後期はKONAMI音ゲーにおける一大イベント、第1回トップランカー決定戦が開催。
この大会、自分にとっては非常に大きな転機となった。


最初は人づてにこの開催を聞いた。
コナミネット登録をしていることが参加の条件とあったので、まずはそちらを済ませる。
そして課題曲がスキップH、SFポップH、ヒップロックHの3曲とのこと。
ひとまず全て満足いくまで1日で埋めてY,Sに次ぐ関東1エリア2位に。

予選最終日に気合を入れて詰めて、Y,Sは抜けず2位のままだったものの満足のスコアに仕上がった。
(なお全国では、ひとつ上にY.Fを加えて3位)
スキップH2個、SFポップH6個、ヒップロックH20個。SFポップだけ若干不満足か。
とはいえ本気で頑張ったリザルトは今でも覚えているものである。


通過12名中、予選を行い上位4名で決勝トーナメント。レベル40制限で自由選曲だったかな。
ポップンはそのゲーム性の関係で、知らないと大差がつく曲が低難易度にも(低難易度にこそ)沢山ある。
ということでこの対策が非常に大変。しかし出るからにはやらなければ、と
参加者のリサーチから始め一通りこなす。

有名どころのコサックN・Hやクラ8N・Hなど、まずはひたすらソフラン系を。
全体的にコンボ精度は一旦忘れて、素点のみを重視するよう意識を変える。
そして自選曲探し。幅広く色々やった末、979出たゴエモンEXと975出たエレジィEXを軸に選ぶと決定。


当日課題曲としては、事前にシンフォHだけが明らかになっている。
こちらの準備より、自由選曲となる決勝トーナメントに準備の比重を割いていたのがアダになり
972、全体でも確か12人中8位とか?のいまいちな立ち上がりになり内心焦る。


2曲目、クジで選ばれたのはハイパーマスカレードEX。初見の譜面である。
2曲目3曲目がクジというのは聞いていたが、基準が全く分からないので対策しようがなかった。
しかし新曲のEXくらいは、どう考えても全て目を通しておくべきだった。


それでもこれくらいの難易度なら初見でもさほど変わらないだろう、と開き直っていたが
点数が欲しくて焦って付けた紙が大失敗。
2台の筐体を使って予選を進行していたのだが、右側は通常で左側は足に木の板を噛ませていた。
このため若干高くなっており、その分目線も違う。そのあたりに惑わされて、紙をかなり深く付けてしまっていた。


曲が始まってすぐに明らかに速いことに気づきパニックに。しかし初見なので、紙を外せるタイミングもわからない。
もうプレイ中から「紙つけなきゃよかった」という後悔、転じて「早く終わって欲しい」と逃げの思考に。
結果946という全くお話にならないスコアで終了、終わった直後紙をくしゃくしゃに握り潰してぶん投げた。


自分の音ゲー人生で最大の、屈辱の体験であった。大げさにいうなれば、音ゲーって言葉は抜いてもいいくらい。
関東1では優勝したY.S以外にも友人のだーく、発狂最強のYATHといった強豪が多数出場していた。
彼らと真っ向勝負した末に敗れるなら全然納得がいく。しかしこれは、ただの自爆である。

自分はこの大会に強い思いで臨んだのではなかったのか。誰が上がってもいいようにみっちり対策をしたがその実、
少し立ち上がりに失敗しただけで簡単にミスを犯すほど冷静さを欠いていた上、その中でも
必死で頑張ろうというがむしゃらさもなく、逃げ出したい気持ちになっていた。これでどうやって勝つっていうんだ。


決勝大会は横浜BLITZで行われた。
私は知人のチケットの2人招待枠を頂いて観戦(誰ので行ったのか忘れた)。
勝敗は別にせよ、自分があの舞台に立つチャンスもあった戦いを、ただの傍観者として眺める悔しさはひとしおであった。


そしてポップンはY,S、POKO、Y.Fが決勝勝ち上がり。
ここで事件が起こる。3人が友人関係であったことがめちゃくちゃアダとなった。
発狂が極端にできないY.Sに対する配慮で、全員ランダムセレクトのスパ乱対決とかいう茶番をやり始めたのだ。


実は事前に客席で、すでにそういう考えがあることを人づてに聞いていた。
いやいくらなんでもほんとにやんないっしょと思っていたのだが、これが現実である。
周りの友人はみんな怒り心頭だが、私はなにか他人事のように眺めていたのを覚えている。
これはこれで決勝にまで勝ち進んだ彼らの権利なのだから。

彼らは決勝の舞台で、それまでに敗退した全てのプレイヤーを冒涜するようなプレイをした。
しかしそれを止められなかった原因の一端は、自分にもあるように感じたからなのだろう。


そんなこんなで、ポップン部門は全然印象に残っていない。
(決勝の件は後ほど、参加者に神妙に謝られた。なんといっていいかわからなかった)

ギターは私がそんなに上手くもないのであまりわからず。
ドラム部門はちっちゃいころから江古田で見てきたNAOTO(BEATDOWN)が優勝。
今大会で嬉しかったことはほんとこれだけだった。優勝者にふさわしいプレーに会場中が沸いた。


しかしクライマックスは、最後に訪れた。
1048氏との熱戦を制し、2DX部門で優勝したSILV(FINE)。彼が優勝者インタビューにて、音ゲーからの引退を発表。
自分にとって常に目標(とすらいえないくらい高い、教科書のような存在)であったSILVの引退は、
ポップンの決勝の茶番など全て吹っ飛ぶくらい衝撃的であった。


「好きなものに取り組む姿勢、それに対する飽くなき向上心。
「上手くなるために必要なことだけを純粋にやりこむ」ということに関して、彼は間違いなく天才でした。
僕は「努力の天才」という言葉を良く使うけど、彼はそれを体言する人物だったと思います。

うまくなるために必要なことって、難しいようで実は簡単で、誰にでもわかることです。
デラならランダムでどんな譜面がきても叩けるようにする。それを色々な種類の譜面に対して繰り返す。運指力に関してはイメトレも。
でもそれを純粋に繰り返し練習するのは茨の道です。誰もがどんな譜面でも叩ける上手いプレイヤーになりたいと願いながら、
そうなるための努力となると、躊躇してしまう。

そういう努力が出来る彼は確実に、俺にないものを沢山持っている人間です。 」


当時20歳の私は、mixiの日記にこう記していた。
一人称くらい統一しろよ!と思わんでもないが、当時の率直な感想なのだろうと思い、引用しておく。


私はこの日、いくつかのことを決心した。
まず、もうだらだらと音ゲーを続けるのはやめようということ。
あるかどうかもわからないが、第2回トップランカー決定戦に優勝してこのゲームから一線を引く。
それを目標に頑張ろう、と決めた。
1年先か2年先かはわからないが、その時点で自分ができる範囲の努力で現実的な、完成型を目指す。
もうこれ以上は無理、とやりきるくらいの努力を、音ゲー人生ラスト1年だか2年だかで、きっちりやりきって終わろうと。



ポップン14フィーバー フルコン埋め開始、てつおの台頭


第1回トプランの2ヵ月後、2006/5/17にリリース。
2作品空けるとスコア力が追いつかなくなりそうなので、14はIR参戦。


この頃からオイ0ランダム練習を平行して行う。
最初はクリア率3割とかだったと思うが、気にせずガンガンやる。IRとオイ0ランダムというかなり極端なプレーで回していたが
IR一本に絞ったほうがよかったのだろうか?結果がY.Fに若干届かずの3位だったので、若干悔いが残るところである。


しかしそれ以上に、充実感が残っている。というのも、おおよそ全コース理論値クラスで揃ったからだ。
ガールDEフィーバーコースは1曲目のハイスピードラブソングが2回目のスコアを上回れないばかりか、
近い水準のスコアすら出ない。30回くらいは連続で捨てゲーしたのを覚えている。

そしてようやく自己ベ-1個が出て揃ったところで、ラストのトライユーロが大ハズレで終了。心が折れかけたが
めげずに続けて全曲自己ベスト付近のスコアで揃う。悪夢がよぎるトライユーロを迎えたときは震えた。
決して得意なコースではなかったので順位としてはちと差をつけられた3位だったが、自分としては大満足だった。


他には強く覚えているのが浪漫DEフィーバーコース。3曲目まで完璧に揃い
4曲目のアリプロH99以上で全一という条件で迎え、ランダムでやばい配置を引いて986で終了。
正規ミラーがあまりにも光らないためランダムは仕方なかったのだが、こうなるとやはり悔やまれる。
しかし久々の第1期IRコース1位がかかったプレーはさすがに震えた。その中でもひどい配置の中で最善は尽くせたし、
この「戦ってる感」はほんとに楽しい。IR終了5分後におしゃれDEフィーバーコース500点更新したが反映されず終了。


ネット対戦が同時に開催されたが、ここからは発狂練習に移る。
オイ0ランダムがようやくクリア安定、pfやグランジ、シンフォ2など高難易度ランダムツアーでみるみる地力が上がっていく。


そしてフルコン埋めの開始。きっかけは、何気なくやったコンポラ1EXがミラーでまぐれで繋がったことだった。
このレベルがスパっと繋がるくらいだったら、頑張ればちゃんと埋まっていくんじゃないかと感じたのだ。

レベル38あたりからスタート。こっから下はまあ、やってもしょうがない。
オプション吟味、早め取りやちょっとした取り方の工夫(赤を1回左手で取るとかで全然見え方変わったりする)、
譜面眺めて部分餡蜜やランダム配置読みなど、ありとあらゆる術を駆使する。
こういう方針になったのは、やはり身近にいたしおまるの存在が大きかったのだろう。


このころから、どうも関西にてつおという上手いプレイヤーがいるという話をちらほら聞き始める。
最初に聞いたのはハッピーキュートコア989とかだったかな。
これだけじゃ発狂できるタイプなのかスコアラーなのかも全然わからない。

その実態をこの目で確かめる機会は、意外に早く訪れた。
2007年1月に行われた大会、第2回日本ポップン化計画である。


この大会はごろー君主催、予選大会を4店舗で行い(立川と川越とあと2つは忘れた)、上位2名が勝ち上がり。
それに当日予選2人と関西からの特別招待枠2人で12名による本選、というシステムとなった。

私は立川で優勝。予選のダークネス2Hが自己ベストの992が出てそこからも特に危なげなく通過。
2位のだーくと共に本選へと駒を進めたのであった。
予選は川越マグマ予選でげんねじの応援にいったのだが、同級生が店員をやっててバッタリ会う(ポップン1の項目参照)。
ボソっと「音ゲーの大会って、実況とかないんだねぇ」っていわれたのが結構ツボった。


そして決勝大会。関西からの招待枠2人が、たぬとてつおだった。まあこれならそりゃ不満はない。
特にてつおは公の舞台で初のお披露目、会場中が注目する中すさまじいプレーの連発である。
1回戦で不運にもてつおと当たってねじが脱落、2回戦ではCOLORSのトリル地帯全ピカで会場が震える。余裕の決勝進出。
私は1回戦でレツ、2回戦でISAPを倒して決勝へ。UME、TOBA、てつおの3人で決勝であった。


ひそかに練習していたオイ0正規(部分的にあんみつをいれつつ、正規で交互連打ベース)に全てをかける方針。
しかし1曲目のガガク、2曲目のpfで8500点も離される。当時の判定で一発でpf953は、ちょっと強すぎる。
オイ0はてつおが14絡みのハズレを引き若干チャンスがくるも、6000点ほど詰めるのが精一杯。2500点差の2位に終わる。


結局フィーバーの最中には、第2回トプランの開催は発表されなかった。
しかしきっと来年には開催される、そのときにはてつおが最大の敵となるだろう、と強く意識し始める。
彼に勝てるプレイヤーになることを目指す、という明確な目標を得て、モチベーションも高まりぐんぐん成長していく。
若干の運指改造にも取り組み(12や89で手首返さなくなったり、2468を人薬で取るようにしたり)、
徐々に完成系が見えてくる。


この頃には、発狂練習も形が定まってくる。
あまり他に意識している人がいなさそうな、私独自の理論としては以下の2つ。


・ウォーミングアップの1クレ目曲固定

この時期は1曲目pfランダム固定、3曲目プロバロ固定。2曲目はシンフォ2が多かった。
ADV以降はpf-ラウラガ-プロバロ-ニテンテ全ランダムの時期が長かった。後にpfがカイジュウになったりする。

この方法が全ての人にとってベストでは恐らくないという前提で書く。
私は発狂ランダムに関しては完全に運動量タイプで、汗をかき始めてからようやく体にキレが出てくる。
なので過程はすっ飛ばしていち早くその状態に持っていくということで、最初からレベル42ランダムに突っ込むのが手っ取り早い。

自分の状態でスコアが大きく変わってしまう顕著な例として、私にとってはpfランダムのスタート部分があった。
体が動く状態になったらどんな配置が来てもGREAT以上で拾えるが、1クレ1曲目だと当たっても反応が遅れるぐらい。
なのでまずはpfランダムの最初を全力で食らいつき、ラストのおかわりまでに体を温めるという意味でpfが適任だった。


2曲目はもう少し速いのを見えるようにしたいので、この時期はシンフォ2、後にラウラガになった。
ラウラガは体力系でBPM180を若干ながら超えるのでこれが適任、長いことお世話になった。
3曲目のプロバロで仕上げ、EXステージでは後にニエンテランダムになるがこれはちゃんと頑張らないとクリアが若干危険。
一番頑張っていたときはしんどいながらこれくらいやっていた。


曲を固定した意図は、スポーツの世界でいうところのいわゆる「ルーチンワーク」を真似る意味があった。
常に同じ作業で取り組むことにより、それが終わったときに常に自分を同じ状態にもっていくことができる、という
自己暗示も含んだ取り組みである。

これによって以前は「調子がいい日に」「連コインしまくって」自分の状態をベストにもっていけるかどうか、だったのが
いつやっても常にベストの状態に、「意図的に」持って行ける様になった。
これによってリザルトの質やそれに伴うモチベーションの向上は著しく、かなり成功したと実感している。
なので私は基本的にこういう方法を人に薦めている。


・全押し理論


曲が始まる前や終わった後など、何気ない時間に常に全押しを練習した。
運指は左が肘ありで1234、右手肘ありで5679を取り、小指をグイっと曲げて8まで持っていくしおまる式。


全押しが拾えるということは、全押し体制で構えていれば
理論上どこに譜面が降ってきても拾える、ということである(もちろん、そんな簡単な話じゃないが)。
なので全押し感覚を養い、発狂前など瞬間的に全押し体制を意識して構えておくことで
譜面を拾う精度が上がるのではないか、という一見トンデモな独自理論である。

だがこれが意外と効果があった。4個同時押し以上が降ってくることがわかっているときに
瞬間的に全押し体制を取る事によって、とっさの無理押しでこぼすということがかなり減ったのだ。
両肘派にはオススメの練習である。片肘派だともう少し柔軟に構える方向性のほうが良いだろう。


こういった理論の確立もあって、練習の方向性が定まったのが大きかった。
みるみる成長していく中、次回作の稼動を迎えることになるが・・・。
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  1. 2015/12/08(火) 08:42:27|
  2. 音ゲー
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