科学と哲学のUME式実ボク!

UMEのスパ天における実戦からチョイス、印象に残ったスパーを徹底解説!

ポップン16〜〜

ポップン16PARTY  ロスタイムの始まり


リリースは2008/03/24。トプラン決勝1週間前にリリースされた。
一応判定周りの変更はなかったが、トプランはADVで行われるためPartyで練習していいものか中々難しかった。


もちろんIRは不参加。トプラン終了後どうなるのか自分でもあまりわかっていないところだったが
厳しい戦いから解放されたような気持ちがあり、好記録がしばらく続いて焦った。
ゆとり判定廃止に伴いフルコン埋めはちょっと進みそうにない状況になり、だらだらと続けていた。


海老と電話で時間を合わせて(トプランのとき連絡先交換した)ネット対戦を3試合やり、2勝1敗だった。
プレーしたスマイル館の環境の良さもあってとにかく楽しく、よく腕が伸びた。

自分は、自分を追い込んで戦いの場になんとか踏ん張っていた。
でもそんな難しいことじゃなくて、もっと伸び伸びとやれたんじゃないかなあ、とうっすら思ったりもして
海老へのリベンジの嬉しさもそこそこに、ちょっと切ない気持ちになった。


ボス曲のトイコンが与えた衝撃は大きかった。私は幸い、初見BAD23のフィーバークリア。
しかしクセが付くに伴い正規ミラー共に死の恐怖がつきまとう状況に。唯一のクリア不安定曲になってしまった。


この頃、レベル40以上限定で有志での全国トップ表の作成が始まる。
言いだしっぺはしおまるで、私もそれに協力する形に。
ポプともアクティブをてつお、Y.F、海老、YATHにして1クレでメモりながら40以上全曲回ったり、手作業で頑張った。
私も幸い数曲は保持しており、特にヒプロ3とクラ9は抜かれて抜き返して等もありつつしばらくは残った。


プレイヤー事情としては、なんといってもTATSUえりかの台頭。
TATSU君が次世代のトップになるというのは、IRや発狂のスコア状況を見てかなり信憑性が高く
結構早めから私は予想していて、それが的中する形となった。


TATSU君に関して、「UMEさんと叩き方似てるらしいですよ」と数人からいわれたのだが、
まあ指肘北斗全部使うし、強引に交互連打にするの好き、とか共通点あるにはあるけど
シルエットとして全然違って、人の論評なんざ適当なもんだなぁ、とか思ったりした。


えりかに関しては、なんといってもトイコンランダムフルコンが衝撃的であった。
実際に見るとすさまじいクリア力、押せる絶対量がハンパじゃない。


いつだったか、彼がコンポラ1ランダムをやっているところで
トリルの配置が14だったのでつい「トリル14だよw」って教えてあげたのだが、
実際降ってくると「あ、ほんとだ」とかいいながら14左手の小指親指トリルですさまじい打鍵音。
ズガズガズガズガズガとかいいながら衝撃の全COOL抜け。

他の人間の助力によってスコアに影響を与えるのは、厳密には不正である。
悪気はなかったつもりだけれど、こいつら上手すぎるしこりゃ以後気をつけよう、とちと反省した。


ポップン17MOVIE  未クリア1点灯


リリースは2009/03/04。
初期はとにかく忍者メタルEXが面白すぎた。EX常駐させてからというもの
忍者メタル忍者メタル忍者メタル他の曲常駐他の曲繋ぐ忍者メタル忍者メタル、とやりまくった。


高難易度ではメタリックオペラとサイレントが登場。
サイレントは実際プレーする前に動画で見たのだが、どう見てもぶっちぎりで難しい。ちなみに初出レベル42。
クセが全く付いていない初見は結構大事なので、入念に準備して臨んだが
苦手そうだなーと嫌な予感がしていたラス前の乱打発狂がやっぱりいまいち見えない。
ボーダー-4くらいで抜けることとなり、最後は得意らしく減らず、ボーダー-4で終了。

その後ボーダー-2、逆ボーダーもあったが、クリアできぬままズルズルとクセがついていく。
結果未クリア1が最後まで残る屈辱的な結果に。しかも実は、未だに越せていない。

やっぱりラス前があまりにも苦手すぎる。正規ミラーでクリアゲージ以上残したのがたったの1回。
ランダムならしばしば残ることもあるが、最後が当たったことなど1度もないし多分当たっても見えない。
うーんこいつ、どうすりゃいいんだ?


ポップン18せんごく列伝  月風魔伝1位、プロバロ964、クラ9EX93


2010/1/20にリリース。今回は曲別IR形式。
毎週5曲程度がIR対象となり、マスターズもありつつ1曲ずつランキングに参加できるシステム。
これなら興味ある曲はやってみよう、と感じた。


第1週の目玉は、隠し曲の月風魔伝。TOBAの熱心なリクエストが通ったのだろうか。
(ことあるごとに月風魔伝メドレーいれてくれって頼んでた)
やってみると細かいソフラン混じり、4つ同時押しまでしかなく正規ミラーが地味に大変なのでランダム向きと
自分が得意そうな譜面傾向で、なおかつ恐らく全体で1番参加者が多いところ(実際そうだった)。
こりゃ1位取ったらおいしいなと思い、粘着を決意。


結果はコチラ。右上の「変更」タブ横をEXに変えると見られるはず。
初日の1位が確かB-318で、じきに葉月君が1位に。知ってる名前がズラリと並ぶ激戦区に。
1位当確ラインは恐らく995後半くらいからと見当をつけ、納得いくまで詰めた。

確か超微差の1位だった瞬間があった(11-1-0で1位、2位が13-0-0)と思うのだが、
これじゃ怪しいと思い、気合でもうひと伸ばしして10-0-0の99576。
見立てどおりこれで1位を守りきれた。


みんなが頑張ればギリギリ抜けそうなスコアのまま1位にいるとやっぱり危険で、
12個で抜けるなら頑張ろうとした結果一桁を出されてしまう恐れがある。そうなるともう抜き返せなくなる。
なのでみんなが諦めてくれそうなところまで詰めるのがきっと大事で、戦略的にも上手くいった。
第1期IRの1位としては、ポップン8のダンスポップコース以来実に7年半ぶりとなった。


プロバロの調子がいい日に、これは自己ベスト出そうだなと感じて粘着。
自己ベスト945に対して94ちょいが3連続で出る。どれも1箇所配置が外れて崩れ更新ならず、というパターンなので
おおよそノーミスで通れば更新、95に乗るかと感じ続けたところ
自身の調子の良さと当たり配置のタイミングが合致し、大爆発。
1000コンボ弱のトリル地帯もトリル98で当たり、ほぼ全ピカ抜け。ここで記録更新を確信。

ここでよそ見でもして記録に傷が付いたら一生後悔する、とどうにか集中してやり切る。
ラスト2小節入ったあたりで、視界の隅にすでにNEW RECORDの文字がちらりと映る。え、これすごい更新してるパターンじゃないの。
結果964、84-2-3とかだったかな。それまでの自己ベストを2000点弱更新。95飛び越えて96が出た。


えりかとクラ9の全一を競っていて、確か922で全一を取られた。
あっちはいっぱい持ってるがこちらはなけなしの全一、ひとまずやるだけ頑張ろうと粘着。
やりながら初フルコンをようやく達成したりしつつ(ADVで配置読み違えてラスト1ノーツ切りとかやってる)、
923と微妙に更新して1位奪取。しかし月風魔伝と同じ理屈で、これだと危ない。

恐らく先に93に乗せた方が勝ちだろうと思い、そこまでは頑張ることに。
結果開幕当たった回を生かしきり、930に到達。最初の発狂終わって以降確かパフェペースでいった。


やはり先に大台に乗せたことが大きく、しばらくこの全一は残った。
副産物としてヒプロ3やったらそちらも伸びたりした。低速系やるならクラ9はセットでやったほうが良さそう。


ボス曲はふること。ちょっと拍子抜けの難易度。
10回くらいで繋がり、新曲EXは久しぶりに全曲フルコン達成。


ポップン19TUNE STREET  レベル41平均、最後のひと頑張り


リリースは2010/12/21。IRは前作と同形式。
ちなみにチュンスト、恐らく全作品で唯一IRのアーカイブが残っていない。何故だ。


解禁イベントのタウンモードが特徴的。解禁のシステム云々というより
3曲保障のモードなので、未クリア曲特攻に使う人が多かった。
私はサイレント粘着がどうにも気が滅入ってしまうので、トイコンランダム粘着に使うことが多かった。
やはり効果は絶大で、一時期クリア率が5割を超えていた時期もあった。


この時期ちょっとゲーセン内での人間関係の揉め事などもあり、続けていくのが大変な状況になる。
ゲーム自体も段々判定がよくわからなくなってきているし、デラの動きをトレースするならば
この先もどんどん遅延が増えていき、ゲームとしての楽しさが失われていく流れは、恐らく止まらないんだろうなとうっすら感じた。


そんな中、Twitter等でちょっとした取り組みが流行る。
レベル41の平均スコアで競う、というものだ。
ランカー内ですこぶる流行し、特にクリアラーとスコアラーどちらの人種も平等な舞台で戦える感じがあり
レベル41平均というのが絶妙な設定だったのだろう。


これを自分の死に場所にしよう、と思った。
納得いくまで詰めて、レベル41平均98に乗せて、多分それでもうやること無くなるだろうと。
第1線から離れてしばらく経つが、ここで今一度自分の存在感をアピールできたら十分だ。


ということで、久々の大きな取り組みが始まった。
プレー場所は神保町スマイル館1択に。ここを超える良条件はない。
仕事の昼休みにもちょっと遠いが通い、とにかくクレジットを入れ41を選び続ける。
オプションや紙も妥協無く、やれることは全部やることとした。


例を挙げるなら、例えば演説EXのラスト紙。上に仕込んだ紙をサーっと下ろす。
デスレゲエEXランダム。正規ミラースパ乱はありでランダムは唯一無いと評判の曲だが、これが低速で一番稼げた。
同じ理由でレーシングもランダム。正規の97パフェを捨ててランダムにいった。
中華ロックもミラーの98パフェを捨ててランダムにして986出たり。
サーカスEXは2段階紙。2枚紙を仕込み、前半終了時1枚はがす。ラスト前にもう1枚の紙を引っ張って下ろす。


仲間内では同じくレベル41平均上げをしていた静波のスコアを参考に。
彼も平均975と高く、その上でかなり傾向が尖っている。対静波0敗にできれば間違いなく98は達成できるはず。
しかしこれが本当に難しい。基本的に得意不得意の傾向はかなり噛み合わない。それでも3敗とかまでは詰めた。


最後の更新はなんだったかな。かなり微弱な更新が決め手になったのはうっすらと覚えているのだが。
98000.3548という、ギリギリでの目標達成。これで燃え尽きた。


作品終盤には、第1回KACが開催。KONAMI Arcade Chanpionship。
我々年寄りの感覚でいえば、トプランの復活である。

当然ながら不参加で、しかし参加してても予選抜けられなかった可能性も高い。
関東のTATSUダイナソーあんじふぁるがーの面子に割って入るのはちと無理だろう。
(ってかふぁるがー上手くなりすぎでシュールにすら感じた)。


関東でのダイナソーとの激闘を制したTATSU君が、決勝では圧巻のプレーで優勝。
私は関東の会場になった町田キャッツアイに観戦にいった。
終了後いろいろと懐かしい顔に挨拶しつつ、TATSU君彼女さん1048俺という謎なメンツで食事に。
1048さん、池袋モアイ時代からお互いに認識していながら、初めて喋ったのがこのタイミングというのがなんとも不思議である。



ポップン20FANTASIA  初めて腕が落ちた作品


リリースは2011/12/14。
レベル41をたまにやってみたりするのだが、やはり前作の詰め方が相当だったらしくピクリとも上がらない。
ああ、自分はやっぱりこれでやり切ったんだな、と強く実感した。


この作品で、ポップンをガクっとやらなくなる。
IRがどういう形式で行われたとか、どれが解禁曲だったとか全く覚えていない。

ダージュが初見死亡、プレイ初日のうちに越せなくて内心焦る。
(デラでやりすぎたせいで、同じ形をしている前半は初見から癖ついてて笑った)
未クリア2点灯に慌てつつ2日目、多分計20回くらいはかかったと思うのだが無事クリア。
肘派のため正規でラストの右白が適当気味に取れるのが大きかった。


幸いボス曲のムラクモは初見で越せた。絶対ダージュのがむずい。
蠍DP穴そのままぶっこんだらそりゃむずいわ。


ポップン15まではもちろんのこと、16~18も
ある程度の頻度では触っていたため腕が落ちることはなかったし、高記録もちょくちょく出ているので
トータルとして腕はゆるやかには上がり続けてきたと思う。
19は41平均上げで恐ろしく地力が付いた。

しかしこの作品は、はっきり自分の腕が落ちたのを実感した。
発狂ランダムからスコア力まで、どれも自己ベストからは程遠い水準の能力しか発揮できない。


モチベーションが途切れると、自然とやらなくなるし
そうすると勝手に下手になり、やってもつまらないから余計やらなくなる。

私は数多くの知人の音ゲーマーの、音ゲーから去っていく姿を見送ってきた。
どういう状況になったら自然にやめるようになるのか、今までピンとこなかったところだったが
ここにきてようやく理解した。やる気がなければ自然とヘタになり、自然とやめていくもんなんだな、と。


10年以上続けてきた取り組みとそれに対する情熱が、ここで途切れた。


ポップン21Sunny Park  2つの大会


リリースは2012/12/12。ラピストリア稼動まで1年半サニーパークだったらしい。長い。
この頃から運動不足で太り始める。やっぱこのゲームすごい運動になるんだなぁと実感。
週1で汗だっくだくになってればまあそりゃ太らんよね。


久々に懐かしい顔が見たくなり、ポプ祭2013に出場。
みんなに太ったことを驚かれつつ、ごろー君やRobo君も太った。みんなして年を取ったなぁ。


顔見せ程度のつもりだったのだが、バトル部門ではねじとの同点決勝を制してまさかの優勝。
ガチスコア部門では予選のガガクを通過9人中9位のボーダーでギリギリ通過。
(俺のせいでTOBAが落ちたら熱くね?ってねじと話してたらほんとにそうなった すまん)

本選ではみれすた、Y.Wと同組になり、2人が武器曲を温存した上
みれすたが私のことを知らなかったらしくクラ11を選曲、私はクラ9を選び
自選曲が私一人だけ2曲あるみたいな超有利な条件を生かし、まさかの決勝に進出してしまった。


決勝ではTATSU君とダイナソーとの対戦。勝ち目がリアルに0%。0.1%すら絶対ない。0%。
なので選曲に非常に迷う。クラ9もう1回はできたらやめてと頼まれた(まあ、暗黙の領域だよね)。
なるべく2人の勝負に影響が少ない曲にしたかったが、それでも自分が得意でもなんでもない曲を選ぶのは
いくらなんでも私が勝ってしまったみれすた、Y.W両氏に失礼だ。
ということで安定値としてはダイナソーの方が高いものの全一はTATSU君、
そして昔私が全一だったヒプロ3でバランス取れてるかな、と思いこれに決定。


選曲は私ヒプロ3、ダイナソー天空の夜明け、TATSU君ダージュ。
(進行役のR-MAXに「てかUMEさん天空の夜明け解禁してる?」って心配されて笑った)
ヒプロ3はダイナソーに負けて2位。総合はなんと、私は2万点差を付けられて3位。
(ヒプロ3が僅差なので、実質残り2曲で2万点付けられた)
ダージュで94と自己ベスト付近を叩き出して、TATSU君が逆転優勝となった。


昔のトプランで、デラで他の参加者に気を使って冥を選ばない、ということがあったり
思い出してみれば第1回トプランのポップン決勝は、気を使った結果の大茶番であった。
恐らくTATSU君ダイナソー2人とも、勝負としては私のことは眼中になく
それでも年上に気を使うとかせず、はっきり蚊帳の外に追いやってくれたことを、頼もしく感じた。

人生で唯一「やるのが恥ずかしい」という気持ちの中やった、黒歴史みたいな大会だったが
やるのが恥ずかしくなるくらいボコボコにされたのも、真剣勝負だから故のこと。
恐らくこの先、私が彼らと同じ真剣勝負の舞台に立つことはもうない。自分としては恐らく最後の、とても貴重な体験ができた。
 

2013年末にはKAC2013が開催。
もうどう見ても予選も抜けられなさそう。ギャラリー目線で眺める。
しかし今回、なんと私にとって盟友のだーくが久々に出場、決勝大会に進出した。


私の仲間内では、私としおまるとだーくの3人が、長いこと競い合いながら腕を高めてきた。
店内対戦を3人でやると、しおまるとだーくがタイマンだとコンボ賞の関係でしおまるが勝ちまくるものの
私が入ることによってしおまるのコンボ賞が鉄板でなくなってくるため、かなり勝負が紛れたり非常に近い腕前である。


私としおまるは、基本的に「やれることはなんでもやるタイプ」である。
一方だーくはスペックこそ我々の中でズバ抜けて高いものの、どこか勝負に対して淡白なところがあったり
大会ではプレッシャーに負けて不甲斐ない結果に終わることもしばしばあった。


しかしKAC2013、予選では1曲だけ最後に残し最終日に一気にその1曲を詰める奇襲で通過3人中3位に滑り込む。
すさまじい才能を持ちながらそれを持て余してきたあの男が、きっと自身の集大成と感じて
やれることは泥臭く全てやったんだろうなぁ、と。私はそれが、涙が出るほど嬉しかった。


当日も最初の顔見せで、中々堂々と喋っていて頼もしい。
結果は同組のあんじ君、ダイナソーに負けて3位の敗退となったが、
新筐体で恐らくボタンも固め、すさまじい緊張感の中でグランヂクラ7の2曲を平均945で纏めた。

彼はまだ諦めずに、真剣勝負の舞台に立って、若い世代と台頭に渡り合った。
それがとても嬉しく、羨ましく、そしてやはり誇らしかった。


私は当日は第10回裏塔劇2日目(チャタン出場、3回戦敗退)ともろ被りのため見にいけず。
青汁さんとメシ食った後、せっかくだから挨拶に行こうと思い会場の六本木ミッドタウンへ。
一線から退いたばかりの自分には、まだ現役で戦うみんなの姿は、いささか眩しかった。


ボス曲のエンジュリオンは少々拍子抜け。数クレ粘着してBAD3までは減った。
それにしても長い、長すぎる。いつまでサニーパークなんだ。


ポップン22ラピストリア  これ以上ない辞め時の到来


2014/06/25リリース。問題点の宝石箱みたいな作品であった。


まず、絵柄の変更。私はどうにもあれ受け付けがたい。
一言で言って、「やっていて恥ずかしい」。好きな絵柄じゃなくとも、
ある程度当たり障りの無いものにして欲しかった。あれは人を選ぶ。


そして旧筐体のすさまじい処理落ち。常にカエルポップ君状態。
次第に改善されたものの、やっててなんともいえない気持ち悪さがある。
(人間に知覚できないレベルの遅延だとしても、やっててなんとなく気持ち悪かったらもうそれ駄目だろと思う)
しばしば処理落ちで曲が止まったり(そして大量にBADが出てたり)する。不良品もいいとこだ。
その対処法なのか版権曲がキー音なしになったり、音ゲーとして大事な部分がどんどん削られていく。


極めつけは、スコア計算方式の変更。
以前はCOOL:GREAT:GOOD=10:5:1だったのが10:7:4に変更。
これによって旧曲のスコアとの整合性がなくなり、一言で言ってそれまでに出した記録が全て無意味なものとなった。


音ゲーはあくまでゲームだが、そのゲーム性は競技に近いものがあり
競技としてしっかり確立したルールがあるからこそ、人は上達を目指し頑張れるのだ。
自身が頑張って詰めたスコアが、自己ベストではないリザルトによって自己ベストが上書きされる。
誰がそんなものを求めていたというのか。全く理解に苦しむ。


この作品も1年半のロングランとなったが、確認するまでもなくぶっちぎりの最低回数となった。
みっちりやったのはCR-IQ氏(クリックって読むらしいよ)主催の、ネット対戦10周年記念ON会の日だけ。


自分だけではなく、多くのプレイヤーがこの作品でポップンから離れたことも確認している。
私にはこの作品が、ポップンの終わりの始まりに見えた。




ポップン23eclale 音ゲーマー達の発信所を見て


2015/11/26稼動となった。
旧筐体の処理落ちがかなり改善され、未解禁で終わってしまった過去の解禁曲が手軽に解禁できるシステムは親切。
新曲もなかなか面白いものが多い。


#音ゲーマー達の発信所 に参加を決めてしばらくして、エクラルの稼動を迎えたこともあって
自分としてはちょっとやる気が戻ってきたところで、ちまちまと触っている。


KAC2013でのだーくの頑張りをみて、「いつか自分もまた、あの舞台に戻りたい」と正直感じた。
とはいえ実力が伴わないと、例えばKAC出場を目指すにしたって予選も抜けられないようでは選択肢がない。
いざというときに頑張れるように、地力だけでも戻しておきたいなと思った。


あまり詳しくは書けないが、一時期スタッフのポップンチームと交流があったこともあり
ユーザーと上層部との板挟みの中、両者を納得させる製作の立ち回りの難しさも理解している。
ラピストリアではそこのバランスを崩し大失敗となってしまったが、
これだけ思い入れの強いゲーム、スタッフの方々の頑張りを心から応援している。
  1. 2015/12/09(水) 02:12:24|
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トップランカー決定戦2008 本戦

トップランカー決定戦 関東甲信越1エリア決勝


集合は10時だったか。早めの到着を心がけ、9時にはセンター北に。
駅でトイレに入っていくティトォ(Ryo君)を発見、合流して会場まで同行。
いつも10時前開店なのか今日がイベントのため特別なのか(多分後者)、すでに会場は開いていて大混雑。
ウォーミングアップは全員1曲だけ。いつも1クレで体を温めるので1曲で足りるのか若干不安。


とはいえいつもどおり、1曲だけならなおさらpfランダムしかない。
そこそこ当たり譜面を引いたが91ちょっとに収まる。緊張感がやばい。全員に見られてる感が怖い。

しかし第1回トプランのときはメルトEXとか、汗もかかない曲をやっちゃったので
1クレ1曲目のボロボロのハードpfで恥ずかしいとか考えず、自分にとって最善の準備をできたのは成長の証かなとも思う。


他のみんなを見ると、やはり緊張感がすごい。
ウォーミングアップでTOBAがガガクを選んで、出来が悪すぎて捨ててたのは覚えている。

当然参加者同士は顔見知りも多く、みんながおしゃべりする和やかな雰囲気の中でも
ちょっと落ち着いて黙ってはいられないような、みんなが何かに追い立てられているかのような独特のムード。
ああ、自分はトプランに帰ってきたんだな、とこのとき強烈に意識した。


プレイ順はくじ引き。8人中7番目のなかなかいいポジションを引く。
だーくが若干ミスるのをうっすら見届けつつ最後の一服、戻ってきて私の出番となった。


何を聞かれたのかも覚えていないのだが(まあ多分、今回の意気込みとかだろう)、
マイクを向けられてとっさに「優勝しか考えていないので頑張ります」みたいなことをいったらしい。
正直テンパってた。これ優勝宣言じゃねーか。
ただ自分が「優勝しか考えていなかった」のは紛れも無く事実で、テンパった中自然と出た言葉だった。


パニックポップEXを選び、5.5倍正規に設定、ちょっと間を空ける。
ここから一つ目のノーツを叩くまで、色々なことを考えたり思い出したりした。

緊張感のピークの中で走馬灯のように駆け巡る、今までやってきたこと。旧もあぽっぱー時代からIR、フルコン埋めの取り組みまで。
そして何より強烈だったのは、前回のトプランの屈辱的な敗北。そして最後に自分を突き動かしたのは
その悔しさを晴らす舞台についにきた、これからそのノーツが降ってくるんだ、という「楽しさ」だった。


一つ目のノーツを拾う瞬間、自分の顔がニヤけているのを自覚した。
どうしよう自分、ワクワクしている。緊張する、みんなに見られている。自分を客観視している自分がどこかにいて、
それでいながら目の前の譜面に対しすごく集中できている。その上でシングルの回しができるよう冷静に構えられている。
体も動く、明らかに光っている。これはいい記録が出そう。
あのときの「早く終わって欲しい」とは全く違う。早く結果が見たい。歓喜の瞬間がきっと、そこにあるから。


結果は40-0-0で97918、2位のTATSU君に300点差、972付近に固まった3位~5位に700点近く差を付けての1位。パフェが私一人だったらしい。
1曲目終了時点の上位は順に979私、976TATSU君、ムネキ氏TOBAとY.Sの3人が972で団子に。
この時点で予選通過を密かに確信、リベンジが現実的に視界に入った。


2曲目のコンポラEX。盟友のだーくはここで敗退。
緊張や準備の不足、当日のランダム運など全てが悪い方向にいき、彼としては冴えない結果になってしまった。
残念でもあったが、その分も頑張ろうと自分を奮い立たせる。
1曲目下位から順にプレイなので、私は最後に登場。コンポラは事前に決めていたとおりランダム5倍。少し間をおいてプレイ。


幸い同時押しは当たり気味。コンポラランダムは同時押しが一番重要で、安定してCOOLで拾えれば勝手に95は出る。
トリル92は読んでいたので上手くいけば発狂が交互連打の当たりとか引けるかなーと期待したのだが
ひよって発狂直前で黄グレでハマり(配置は当たってた)、トリルは全部付属が逆々にきて思わず「うおぉwww」って叫ぶ。
(9と2のトリルに対して、9と1が同時、2と6が同時みたいな付属の付き方ね)
結果956ほど。事前の目論見どおりやはりランダムで95は割らない。コンポラは全体の3位、トータル1位で決勝に。


決勝は私とムネキ氏とニケ君。ムネキ氏はあまり知らないが確かデラ出身のプレイヤー。
ニケ君は私自身はそれほど面識がないのだが、周りに彼と親しいヤツが多かったので
密かに上手いことは認識していた。実は事前予想はだーくとニケ君勝ち上がりだった。


選曲は私がクラ11、ムネキ氏はニエンテ、ニケ君はフィーバーロボ。
クラ11はこのために準備したとっておきだが、それでもなおソフラン系は相手がたまたま上手くても文句がいえない。
ニエンテは特別苦手ではないが、私より上手い人はごまんといるだろう。
フィーバーロボは苦手。私は縦連打が非常に苦手なので、どんなにハマっても取れるスコアに限界がある。

今日の状態からいって、ちゃんとできれば絶対に勝てるはず、という自信を持ちつつも
まだ何が起こるかわからない3曲、油断は禁物ともう一度気を引き締めて臨む。


クラ11は低速地帯が思った以上に見えず、暗記した最後は実際にそこを迎えたら頭から暗記したものが吹っ飛んだ。
結果87ほどで終了。やっぱりそうそう上手い話もないもんだなぁ、と少々自戒。
それでもムネキ氏77、ニケ君81とかなり失敗してくれたため、大きなリードを奪う。
緊張状態の中では適速範囲が狭まるんだなぁ、とこのとき実感する。
まだまだ油断はできないが、勝負の大勢はここで決した。


2曲目はニエンテ。未フルコンのため久々にスコア狙い。
難所が1箇所も繋がらなかったが目立って光らなかったりこぼしたりする場所もなく、943と中々のスコアで終了。
ムネキ氏924、ニケ君902。更に差を広げる。
ニケ君はレベル41のスコアの高さをよく聞いていたが、ポコと同じく
41が得意で42が若干苦手なタイプかな?とここで当たりがつく。北斗特化型に多いタイプである。


ラストはフィーバーロボ。正規ミラー悩ましいがフルコンオプションの正規に。
(フルコン時もオプション右往左往したけど)
正規は左手の連打位置までの素早い戻しがカギなので、その最難関が最初なのだが盛大にミスる。
おいおい大丈夫かよと思いつつやはり調子が良かったらしく無難に稼ぐ。
936で終了、この曲フルコン粘着しかしていないので多分これ暫定的な自己ベスト。ムネキ氏92、ニケ君94。

決勝ではロボでニケ君に負けただけ、1日通しても5曲やって3曲全体のトップ、大満足の優勝となった。


「優勝宣言しておいて負けたらカッコ悪いな~とか思ったし、連打が苦手なので
 最後フィーバーロボっていわれたときかなりヒヤっとしたりしたけどなんとか勝ててよかった。
 決勝では近畿からすごいヤツがくると思うが、
 まだ最終決勝で優勝宣言できるほどの実力はないと感じている。残り20日間でその地力と自信を身につけて、決勝に挑みたい」

終了後のインタビューではこんな感じのことを喋った。


そこからは写真を取られたりインタビューに答えたり書類を書いたり、なんかだ妙に忙しくていまだに現実味がない。
2年間目標にしつづけたものは目標であるのが当たり前の感覚で、それが現実になったときのギャップにまだ頭が追いつかない。
しかし書類を書いていても腕が震えて字がカオス。いつにもまして字が汚すぎる。

体はまだあの緊張感の中から抜け出しておらず、その中でも時間の経過と共に
ああ本当に終わったんだ、自分は勝ったんだとこのときじわじわ実感が沸いてきた。
ニックネームとかいうのを書くらしく(全国決勝で紹介に使うらしい 例:札幌のファンタジスタ 等 だそうだ)、
そこだけ空欄にしてなんとか書き終える(後で「炎の交互連打」と書いておいた)。


終了後はいつもの面子、だーくやしおまる達とメシ。
しかし空腹状態のはずが全く食事が喉を通らない。
真剣勝負に本気で臨み、勝ちきるというのはすごいエネルギーを必要とするものなんだなぁ、と改めて痛感した。
そんな状態でなんだか体調おかしくなりそうだったが、その疲労感すら心地よい。


というわけで、最大の目標だった第2回トップランカー決定戦、関東1エリア予選優勝を達成。
もちろん優勝を目指して全国決勝に臨むことになるのだが、どこか自分としては「ご褒美」とか「ロスタイム」的感覚があって
成し遂げたかったのは「リベンジ」であり、それが関東1優勝でひとまず形としては終わりとなった。

本当はこの勢いのまま全国決勝へ、といくべきだったのだが
自分の中で納得いく、大満足の結果が一度出てしまったことで
いったん気持ちが途切れてしまったところもあったのかな、と今振り返って思う。


決勝大会は3週間後。2週間前に関東2のエリア決勝を下見。
海老しおまる葉月の3人が勝ちあがり(完全に予想的中)。海老のオイ0ミラーがすさまじく
しおまるもかなり食い下がったが2000点差で破れ、海老が全国決勝へ。
そして速報を見るとなんと近畿予選でてつお敗退。つくづく一発勝負は何が起こるかわからない。
ということで目下の敵はなんといっても海老ということになった。


この時期、ネットであまり良くない話題が多く上がっていた。
多分どの世界でもあることだろうと思うのだが、ポップン部門へのデラプレイヤーの参入をめぐっての論争である。

「デラプレイヤーのポップンへの侵食がんばりましょう!」とか自分から煽ってくるプレイヤーもいれば
そんな論争の的にされるとは思わず、ただ単に頑張りたい一心で参加し心を痛めているプレイヤーもいた。
「ポップンはレベルが低い」とここぞとばかりに叩くギャラリー連中もいれば、
「デラプレイヤーに負けたら引退する」とか、事をむやみに大きくする奴もいた。


自分はあまりにこの話題に興味がなく、他人事として眺めていた。
私は参加者なので、相手がデラプレイヤーだろうがどのゲーム出身だろうが関係なく、
関係あるのはただ自分にとって誰のどんな部分が脅威になるか、優勝の妨げになりうるか。ただその一点である。

その上で強いて言うなら、デラ出身プレイヤーはマイナーなソフラン系に対応できないケースが多いから
できれば曲データとかを調査しつつ、刺さりそうな曲は使いますよ、という意味で関係があるだけ。


ということで周りの喧騒は気にせず、粛々と準備を進めることとした。
しかし当時のポップン界の顔はまちがいなくてつおで、彼の敗北によって
ポップン界代表の私対デラ界代表の海老、みたいな構図になってしまった。
そんな気は私には(海老にも)全く無いので、余計なもんまで背負わせないでくれ!と迷惑には感じた。
(私が負けたときにボロクソに叩かれるリスクを負うだけの、迷惑でしかない話だ)


海老に関しては、なにせこの目であのオイ0を見ている。
デラは一生追いつけないレベルのプレイヤーだし、彼のデラを
人を簡単には褒めないあのSILVが「あいつはほんと上手いんだよー」と昔褒めていたことは強烈に覚えていた。
「デラプレイヤーはマイナーなソフラン曲で」とかぬるいことやってたら絶対に勝てない、と最大限の警戒をすることとした。

それにしてもあの周りのやや口汚い喧騒も、音ゲーの世界に活気があったころの副産物なんだろうな、と懐かしく思ったりもする。



トップランカー決定戦2008 全国決勝


全国決勝前日、遠征者への配慮で参加者にKONAMIさんがホテルを取ってくれた。
私は八王子のビジネスホテルで、中野には家からのほうが近いのだが
せっかく取ってくれたんだし、と不要な貧乏性が出てしまい行くことに。
着くと見知った顔が沢山いて楽しかったから、まあ良いのだが。


当日はなんと朝7時集合。最近のKACは同時進行による時間短縮に成功しているが
中野サンプラザは舞台ひとつと客席という劇場型なのでそんな方法は使えない。10時開始から逆算するとどうしてもリハは早朝になる。
そのため八王子組は5時半起き。みんなで眠い目をこすりながら中央線に揺られて、中野に到着。


リハはウォーミングアップ兼筐体チェックを1クレ分。
本番までかなり時間が空いてしまうため、立ち回り方が少々難しい。
10時に参加者全員の顔見せがあり、1回ひっこんだ後にポップン部門が開始となった。
1回戦は店内対戦ルール、私は3組目で対戦相手は九州に飛んだISAPと、関東1で戦いワイルドカード枠で上がってきたムネキ氏。


1曲目はISAP選曲ハードpf。ISAPはランダムで高水準のスコアを安定して出してくる。
トリル餡蜜でコンボ賞を取る作戦で正規にするものの、開幕が全然見えず普通にこぼす。
正規ミラーでクセがつきやすいタイプの譜面を緊張状態でプレイすると、
普段当たり前にできていることが全然できなかったりする。

ゆとり判定を最大限に生かし、なんとか900コンボほど繋いで凌ぐ。
しかし素点差がでかすぎてISAPにトップを譲る形になる。


2曲目、私の選んだクラ9。
最初の発狂部分で体が思うように動かず、嫌な予感が頭をよぎる。これ負けそうだ。
低速中の67同時押しで7が反応せずコンボを切り、コンボ賞が絶望的に。ここでかなり心が折れかかった。
(その後必ずやるはずのラスト3つの配置読みをこのときやっていないあたり、マトモな精神状態ではなかった)

それでもなんとか頑張ったら天の恵みが。なんとラストの低速ができないらしくISAPがクリアできず。
さすがにクリアボーナスの差はでかすぎる。一気にまくって安全圏のトップに。


落ち着いて迎えられた3曲目、ムネキ氏選曲の夏休みEX。
コンボ切って素点最下位、とかでなければまず問題ない。緊張しつつも大事に拾っていき977パフェ。
ISAP97フルコン、ムネキ氏98コンボ切りで私が1位に。

相当ヒヤっとした、それどころか瞬間的には負けを覚悟した苦しい戦いであったが
なんとか決勝進出となった。


決勝まで大分時間があく。再開の時刻が近づくにつれてどんどん不安に。
体の動きが明らかに悪く、なんとかしないとと焦る。
近くのゲーセン(中野ブロードウェイ1Fのプラカプだかナムコだか)でひたすらプロバロ連奏。
しかしボタンの硬さもあってひどいスコアしか出ない。やればやるほど余計焦る悪循環。


最後の最後で938くらいの点数が出た。当時の私にとってこのボタンとしてはかなり上出来の点数。
ようやくほっとして控え室に戻り、ちょっと休んだ。
控え室で騒ぎ疲れたらしいリリカPとTOBAが寝ていたのを見て、自分の体力の残り具合が若干心配になった。
慌ててバタバタするより、私も昼寝しといたほうが良かったかもしれない。TOBAには床で寝てもらえばいい。


そして再開。決勝進出は海老、リリカP、そして私。
1曲目は海老選曲、グランヂデスEX。


オプションは正規。大会本番でランダムを使うのがやはり怖く、
正規ミラーで考えるならこの時期は正規のほうがアベレージが高かったのだ。
しかしトリル開幕からすでにGOODでハマる。1回戦のハードpfと同じ失敗をしてしまったと今更気がつく。


正規はトリルの開幕、両手で13トリルを取り右手をかっ飛ばして付属を拾う。こういう特殊な動きが、緊張状態ではうまくいかない。
難しく考えずいつもどおりランダムか、これは結果論だが正規ミラーならミラーのほうがマシだった。
結果9万ちょっとという、かなりまずいスタートとなってしまう。
海老に約2000点ビハインド、全員自己ベストからは程遠いスコアながら地力差がそのまま点数に表れてしまった。


2曲目はリリカ選曲、IDMEX。
それほど大きな差が付く曲ではないが、グランヂpf正規が信じられないほど不出来だったこともあり
「普段絶対やらないようなミスをしてもおかしくない」と気を引き締めて、いつもどおりのプレーを!と言い聞かせる。


結果的には、自分にとって決勝大会唯一の見せ場となった。
965、GOOD2フルコン。フルコンは狙ったわけではなく、いつも通りと心がけた結果だった。
普段からスコアとフルコンの両立は意識して練習していて、それがよく表れたとはいえるが
もう少し拾う意識を下げて、スコア重視でやることで点数底上げできたんじゃないかな?と若干後悔も。


しかし客席からは大歓声を頂く(DVDでは確認できなかったと思う)。
それでもスコアが若干海老に負けてたことは認識してたので、ガッツポーズするのもちょっとバツが悪く
微妙な感じのまま退場したのだが、とても気分は良かった。
油断したらここで一気に崩れてしまいかねなかった2曲目、どうにか踏みとどまり
なんとか勝負を3曲目に持ち越すことが出来たことは、自分の最後の意地だったのだろう。


3曲目、会場のみなさんに「もし92超えたら拍手ください」とマイクでお願いしてプレー。
自選曲のクラシック11EX。正直、勝てる気が全然していなかった。
今日のコンディションから考えて、いい水準のスコアが出るとはとても思えない。
それならそれでも、全て受け止めて終わろう、と心に誓ってプレーした。


やはり私の予想が当たっていて、最初からすでに判定が掴めない。
そのまま特にいいところがなく、ノルマに設定していた90000点以上×が点灯。
海老の優勝がここで決まる。ああ、やっぱり勝てなかったか、とどこか納得した気持ちの中
最後の4個同時押しを押して、今大会を終えた。


2位という結果は恐らく妥当で、決勝大会のメンバーを見ると、あの時点で2番目に上手いのは多分私だったと思う。
なんとかその「妥当な結果」を出せたことにほっとする気持ちが終了直後には正直どこかにあって、
こんな心持ちじゃ勝てないのもそれこそ妥当だよなぁ、と、苦手そうに人前でインタビューに答える海老を見ながら思った。
海老との力の差はもちろんあったが、それ以上のダメージを食らった。有り体にいって、心を折られたのだと思う。


関東1の優勝こそが自分にとって悲願で、決勝大会はプレゼントだと思っていた。
しかし極限まで自分を追い詰めて臨んだ関東1ではプレー中終始楽しく、結果もついてきた最高の思い出になり
楽しくプレーしようと思い臨んだ決勝大会で力が出せず終始苦しい戦いになり、
苦い思い出として心に封印したいような気持ちのまま、DVDも通して振り返ることがついぞ無かった。


それでも今回自分が戦い抜けたのは、今回を最後と決めたからこそであった。
もう自分がこのゲームで日本一のプレイヤーになることが不可能だと、数作品前から痛感させられていた。
その中でも大会の一発勝負なら、自分より上手いプレイヤーを倒すことだって可能なはずで、
勝負になるレベルまで地力を引き上げ、勝率を最大化する方法論を追求することでなんとか戦いの舞台に上がれていた。

それは今回が集大成という思いがあったからで、
これから先、確実にトップとの力の差は開いていく一方になる。
それに必死で食らいついていくこと、今以上に開いた差の中でなんとか勝つ方法を探していくことに限界を感じていた。


だから、今回で終わりにするという結論に、自分で改めて納得がいった。
それでもやはり決勝での不甲斐ない自分のパフォーマンスが悔しくて、腕が落ちるのが惜しい気持ちがあり
もう少しロスタイムを、だらだらと過ごして行きながら、緩やかにポップンから離れていくことになる。

  1. 2015/12/09(水) 01:57:07|
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ポップン15~トップランカー決定戦2008オンライン予選

ポップン15ADVEVTURE 衝撃の遅延スタート、充実のフルコン埋め


2007/04/25リリース。
ロケテ時点で話題になっていたすさまじい遅延が改善されぬまま製品版稼動となってかなりの騒動となる。
この段階では正直ゲームとして成立していないレベルで、アップデートが入るまで私はほぼ一切プレーせず。

アップデートが入り、ひとまず普通に遊べるレベルまで遅延が改善。しかし14以前と違い
遅延が間違いなくあるのは確実。感覚としては2DXREDが出たときの「(9th10thに比べ)随分よくなった」感が近かった。


カードネームはCODA$。今作が集大成となる可能性を強く感じて、楽曲の終結部を意味するCODAという名前に。
$とつけたのは、CODAに飛ぶという意味の音楽記号「ダルセーニョ」に似ていたからである。


IR開始。今回は全10コースでマスターズHがない。
しかもトータルで競うとなるとどう考えてもパーカッシヴ2ゲーになってる。
なかなか遅延にも対応できず、ちょっと油断すると一気に黄グレはまりするのが精神的にも辛く、
結局H5コース埋める気力が出ず(スタイリッシュH残した)諦めてしまった。

厚木の遊々ステーションにこもって夜ゲーしたり、結構いろんなことをやったのは記憶しているのだが
ちょっと空回りしてしまったのだろうか。
やっぱり人間ほんとに辛い思い出は割と忘れるらしく、このIRの記憶があんまりない。


終了と同時にネット対戦が始まり、そちらはそこそこにフルコン埋めを続行。
ネット対戦稼動後いわゆる「ゆとり判定」というバグが発生。空打ちBADが極端に出なくなる現象である。
15のネット対戦にはゴールデンポップ君という高得点オブジェがあり、その仕様の関係で
空BADが通常通り出ると都合が悪かったのだろう。


ネット対戦限定でこういった仕様になって、ネット対戦でこそフルコン埋めがいいというような歪な状態になったがために
通常プレイでも空BADを出なくしたのか、
このアップデートで通常プレイを含む全てにおいて空BADが出なくなったのか、は正直覚えていない。
ともあれフルコン埋めには追い風となったが、この時期つけたフルコンマークの価値を思うとちょっと複雑である。


しかし1日篭れば確実に、少なくとも1曲は成果が出ていたこの時期、かなりモチベーションを持って取り組めた。
15開始直後は恐らく4~50曲くらいは残っていたであろう未フルコンが日に日に減っていく。
新規フルコンは大げさにいって一週間くらい嬉しいもので、あの成功体験を味わってしまうと、ちょっとやめられない。


私は手先の器用さという面でいうと、相当不器用な部類に入ると思う。
(だからこそ木琴押しに代表される、「1回感覚を掴めば何回でも成功させられる」方法を追求してきた)
しかしフルコン埋めには、この「不器用さ」がプラスに働いたように思う。
普通にやると何回やっても同じ場所で切るが、対処法を頭に入れて
プレイ中もそのことだけを考えながら臨み、そうすると1回繋がった場所は2回目以降ほぼ安定するのだ。

不器用で、その場で少し取り方を変えるようなことができない分、成功した場所も同じように安定するらしい。
なので難所数箇所に対して、ひとつひとつ考えて、ひとつひとつ潰していけば必ずいつか繋がる、と自信をもって取り組めた。
言い換えるなら、こっちができるようになったら最初にやったことを忘れていた、みたいなことが比較的少なかったのだ。


繋がった曲で見ると、100回超えたのはアニメヒーローRのみ(何故かすげーてこずった)。
あんなに苦手だったサイバーフラメンコも76回で繋がり、今ではむしろフルコンがかなり安定するくらいになった。
苦しみながら自分で頭を使って取り組んだことは、一生忘れないんだなぁと心底実感する。


フルコン埋めには、大宮モアイによくお世話になった。
メンテもなかなかで1000円メダル14枚、1クレ1枚で6曲+EXステージ。1000円98曲で1曲単価10円である。
私は東京在住なので、時間も電車賃もそれなりにかかるが、それを補って余りあるプラス効果があった。
わざわざ電車賃をかけてきているということすらも、その分の元を取ろう!と長時間頑張る原動力になったのだろう。


最後にフィーバーロボを繋いだあたりで、15のフルコン埋めは終了だったはず。
未フルコンは10曲で、
スクリーン
オイ0
クラ9(後繋がる)
グランヂ(ランダムで18で繋がる)
ガガク(19?で繋がる)
シンフォ2(19?で繋がる)
プロバロ(20?でネット対戦でTATSU君と当たったときに何故か繋がる ランダム)
ニエンテ
釈迦
クラ7(18?19?でミラーで事故繋がり 最初が正規ミラーで繋がった唯一の1回)

となった。今でも繋がっていないのは3曲+消えた釈迦。


なお15では、久しぶりの第2回IRが開催。
オプションに縛りのあるノースピコースや階段コース、オジャマコースなどユニークなコースが並ぶ。
その中でも目玉はHELLコース2つ、HELL1~14コースとHELL15コース。特にHELL1~14は
現時点での上手さのもっとも分かりやすい指標としてみんなが挑戦し、激戦区となった。

1位てつお、2位海老、3位YATH、4位だーく。ちょっと差をつけられつつ5位に私。6位わからん。
7位でふ、8位まこさん(東北)、9位しおまる、10位えりか。
そこから先もそれまで名前の知れたプレイヤー、その後躍進するプレーヤーの顔がずらりと並ぶ。
まあポップンなので、名前が変わってて誰が誰だかいまいちよくわからないんだけど。

ちなみにマスターズ1位は当時マチシミってカードネームだったが、マチシミはいじられキャラの私の同級生(結婚おめ)の名前で
このIR1位の中の人はしおまるである。
マチシミはいじられキャラで、しおまるや私をはじめ多くの人にこうやって名前を使われる。
私の周りでSFCシレンやってるやつらがみんな名前を風来のマチシミにしてたのがだいぶ笑った。


そして最大の目標としていたものの開催が発表された。トップランカー決定戦2008である。
カーニバルのときの第1回トップランカー決定戦の敗北以後、これだけのためにやってきた。



しかしトプランの記事を書く前に、これには触れておかなくては。
トプラン予選中の出来事なので、少々時系列が前後するのだが。


メンテナンスのスペシャリストとしてオスロー店員で活躍していたことが有名だっただろうか。
もう少し前、ニャミ通のこすびさんやおじゃまかんぱにーのごろー君とかそっち方面の絡みから知り合ったんだったか。
それほど深い関わりがあった人ではなかったけれど、何かの飲み会で席が隣で
柔術をやっていたらしい彼と格闘技談義で盛り上がったことが一番印象に残っている。


星鈴さんこと鈴木星児さんが、2008年2月3日、26歳という若さでこの世を去った。
風邪薬だったか、睡眠薬系の薬の多量摂取による中毒死。事故と自殺の、丁度中間のようなところが死因だった。


あまり詳しくは書けないが、第2回トプランに際して少々スタッフの方と意見交換をさせて頂く機会があった。
会場の筐体のボタンの状態をどうするかというのは結構重要な問題で、その際に
いわゆる初期状態よりもう少しみんながやりやすい環境で統一したりできれば理想的だと思い、
メンテといえば星鈴さん。彼に相談してみようと思っていたのだが、実際に連絡を取る前に訃報を知ることとなった。


私は彼と特別な親交があった訳ではなく、そんな中悲劇に乗じてやたらと悲しい素振りを見せるのも偽善的に見えるだろう。
しかしやっぱり、人間どんなに真っ当に生きようと思っても、死にたいくらい辛いことはしばしばあるもので
それでも人間、ものすごく些細なことでも、もうちょっと生きて見ようと思うことも沢山ある。
例えば今週のマガジン出るまでは、とかそんな些細なことでも。


私がもし彼に、もう少し早く連絡を取っていたら。
メンテで現場に立ち会ってくれたら楽だから、トプラン当日来て下さいって頼んでいたら、
彼も「まあせっかく連絡くれたんだから、そこまでは生きてみよう」と思ったかもしれない。
誰だって死にたいときくらいある中で、実際に死を選ぶかどうかの差なんて、そういう本当に些細なきっかけがあるかどうかに過ぎないと思うのだ。


だからといって、周りのみんなが冷たかったせいで起こった悲劇だとか、そういうことではないと思う。
それでもこの、私が密かに痛感した後悔を忘れたくなくて、何か形に残してトプランに出たいと思った。
ということでキャラを密かに2P星のひと(近代絶頂音楽のキャラ)に変更。
気持ち悪いキャラであれなんだけれど、私はこれを密かな「喪章」にすることにした。



ポップン15ADVENTUREその2  トップランカー決定戦2008 オンライン予選


オンライン予選はフレッシュEX、アドベンチャーEX、J-ロックφEX。前回と比較して難易度が一律上昇。
また同時にエリア予選及び決勝、全国決勝の概要も発表となる。
上記予選で各エリア予選を行い、それぞれ8人がエリア決勝に進出。

エリア決勝ではパニックポップEX、コンテンポラリーネーションEXの2曲で競い、上位3名が勝ち上がり。
それぞれ1曲ずつ選んでの計3曲の合計スコアで戦い、勝者が中野サンプラザでの全国決勝に進む。
全国決勝は9人の参加者を3人×3で店内対戦を行い、それぞれ1位抜け。通過の3人が1曲ずつ選んで超チャレでスコア勝負。


また今回はオンライン予選に「ワイルドカード枠」が追加。
エリア決勝で惜しくも2位になってしまった人の中から、オンライン予選のスコアがトップの者が
敗者復活として全国決勝に進める、というものだ。
ということでオンライン予選のスコアをつめることにも意味が(一応)ある形式になった。


出場エリアはもちろん、最激戦区の関東一エリア。ここでのリベンジにこそ意味がある。
ということで気合を入れてまずはオンライン予選に取り組んだのだが、中々納得いくスコアは揃わない。
やはり15の判定がまだ体に定着していない感もあったし、何より精神的に少々気負いすぎていた。
そこまで0でいってたのに1箇所でドバっと出て台無し、というのを相当数やらかしたことを記憶している。


エリア決勝まで、常に恐怖がつきまとっていた。
それはこれを集大成として臨むと決めた第2回トプランで、前回と同じようにあっさり負けてしまうことへの恐怖である。
オンライン予選に取り組んでいる状態からそんな精神状態で、やればやるほど点数が出なくなる、絵に描いたような悪循環であった。


その中でもなんとか、あちこち癖が付きまくったアドベンチャーEXだけはなんとか揃ってくれた。13個、99363。
フレッシュは1回試したランダムのスコア(7個)が抜けず、Jロックφは開幕3個出た2回目のスコア(ミラー)を抜けなかった。

予選を通じてちょっと自信喪失の感が正直あったのだが、アドベンチャーの出来は自分を勇気付けてくれたように思う。
結果関東1で3位、全体では上に海老とてつおを加えて5位。ワイルドカードは非確定ながらひとまずそれなりに形にはなった。
(予選の模様はまだ残っていた コチラ


ここからが大変。エリア決勝に向けて準備に入る。
まず基本の地力上げ、発狂練習は常に続ける。エリア決勝は素点のみの勝負なので、一端フルコン埋めは切り上げる。
その上でやはり問題となるのはパニックポップEXとコンポラEXの安定性と、地雷系ソフラン曲の予習。
そして参加者全体をチェックした上で、選ばれそうな曲をピックアップし対策にあたった。


エリア決勝までそれほど日がない。正規ミラーでいくなら、癖がこの時期についてしまうと致命的なことになる。
なのでパニックポップは正規で階段や横流しをシングルで回せる(交互に拾える)部分は覚え、それだけ練習しておく。
コンポラは正規ミラーランダム全部試して自己ベストが100点差以内といういかにも悩む事態に陥る。


その中で結局オプションはランダムに決定。正規ミラーは発狂及び発狂前がいかにも安定しない。
また後半が地味に点数を狙いにくく、結局配置の良し悪しを考慮してもランダムの方が点数が安定することが決め手だった。
配置の当たり外れは言い出したらキリがないので、少なくとも6個同時押しと6連符トリルに関してはランダム配置読みで対応する。

6個同時押しは2種類、そのうち片方が何回も来るパターンのやつで、これが12589含みだと辛い。
しかし確率は4/9C3=4/84=1/21。5%未満ならスバロボだってそうそう当たらない。もし引いたら赤捨てるつもりだった。
(6個同時押しが全部で9C3=9・8・7/1・2・3=84通りで、12589含みは12589+3,4,6,7の計4通り)


コンポラは入念に配置読みをした。
(http://hellwork.jp/popn/wiki/?plugin=attach&pcmd=open&file=contemporary_nation[ex].png&refer=%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96%2FUploadPage)

まず最初の1個は6連符トリルの片割れなので意識。
9小節目の5個同時押し+1個の6個同時押しが中盤の発狂前に来るので、配置を頭に入れておく(特に無理押しのとき)。
17小節目の6個同時押しはこの後何回も来るので、必ず覚えておく。

18小節目、正規で68の32分ズレがある。これが6連符トリルの配置なので覚えておく。
このとき開幕の1個を覚えておくと識別が楽。ちなみに開幕の1個の方が6連符の表。

あとは17小節目の6個同時押しの形(正規で123789)で来る場所を全て覚え、
65小節目の正規で48に来る32分トリルは、直前の64小節目に降ってくる48同時押しで識別。
これまた開幕振ってきた1個が絡んでいる。今度はこちらが32分の裏。

とまあこんな感じである。
あとはプレイ中「ここまでの配置から見て、14肘を常に構えておいたほうがなんとなく良さそう」と感じたら
少し左重心にシフトするとか、とにかく体で覚えるよう練習を重ねる。


そして今度は各参加者対策。とはいえ一応第1回トプランでやったことの復習なので、そこそこスムーズにいった。
それよりはプロバロを選ばれて対策もクソもなく地力で潰されるほうを警戒し、発狂練習は常に欠かさなかった。
そんな気持ちもあって、自信をつけるためにプロバロ50連奏とかした(腕が取れそうになった)。
各種地雷系ソフランも以前よりは上手くなっており、準備はなかなか順調に進む。


最後に自選曲の選定と練習。
ここまでに得意な曲から選ぶならヒップロック3EX(98パフェとかだった 当時さすがに全一)あたりが無難。
他にはクラシック9EXがフルコン粘着中に得意になったりと色々候補はあったが、ソフラン系は誰が何を得意かわからないのでちと不安。
なので決勝に上がってきたメンバーを見てから臨機応変に考えるか、新しい武器曲を発掘するかの2択という状況だった。


やっているうちに自然と方針が定まるかもしれないので、ラスト1週間まで自選曲は決めていなかった。
その中でうっすらと頭にあったのがクラシック11EX。非常に苦手な曲だったのだが、
確かポップン14の第2回日本ポップン化計画立川予選のとき(だったか直前のポップントーナメント大会だったかうろ覚え)に、DDREX99で有名なレツが

「4倍で最後暗記というDDRの手法を、クラ11でも試してみているがまだ完成していない」

みたいなことを、雑談程度にフラっといったことが頭の片隅にあった。


確かにクラ11はDDR以上に高速部分が時間的に短くノーツも少ない。
普通やるなら適速は2.5倍。最後だけ暗記して3.5倍でやれたら劇的なスコアの更新が期待される。

これを密かに自選曲選定の切り札にしていたのだが、せっかくの機会なので取り組もうとラスト1週間で決意。
会場の下見で港北ニュータウン3rdPlanetに。ここでボタンを確認しつつ(14筐体、ボタン良好)3.5倍でクラ11を初プレー。
高速部分ボロボロながら87くらい出て自己ベスト更新。手ごたえありまくりである。


暗記あんみつなど、「見えているものと違うことをする」「見えていない中で叩く」というのは、私はそれほど得意な方ではない。
(発狂BMSの経験で、アドリブ部分あんみつは得意)
なので高速部分が中々できるようにならずちょっと慌てたが、ひたすらイメトレを繰り返す。
クラ11の高速部分の乱打は同時押しがないので、すべてシングルで回せるのがありがたかった。
これのイメトレはなんだか楽器、それこそ木琴の基礎練習をしているみたいで不思議な気持ちになった。


結果最後も通して拾えるようになり、クセがついていないうちにいい水準でスコアがまとまった。
934フルコンという当時では間違いなく必殺のリザルトを携え、万全の準備をもってエリア決勝当日を迎えた。

  1. 2015/12/09(水) 01:41:51|
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ポップン12~14

ポップン12いろは 再び最強に返り咲くために


リリースは2004/12/08。
振り返ってみて私はいろは~ADVENTUREが一番思い出として濃い。

プレイヤー全体との相対的な比較でいって、一番上手かった時期は恐らくポップン6~8の頃だったのだろうと思うが、
周りに追いつかれ、そして追い抜かれて迎えたこの作品以降、目標や課題を持って取り組み
本気で上手くなろうと頑張った分だけ、ここからの3年ほどで積み上げたものに対する思い入れが強いのだろう。


ちなみにカードネームは「IQレスラー」。
オフ会的な集まりで「どうも初めまして、IQレスラーです」というと
笑いが取れる鉄板ネタみたいになって味を占めたことを覚えている。


さて、まずは1作品空けて参戦となったIRである。
この頃から全曲紙使用になった。以前はBPM120台以下の曲等で気まぐれで使う程度のアバウトなものだったが
それではとても点数が足りず、BPM180くらいまでは全て紙をつけて微調整をいれていた。


それにしてもIRだけを取ってみても、語ることが多すぎる。
まず驚いたのは、マスターズHの全6コースを数回ずつやって
ある程度の水準で揃えて埋めた段階で、順位が10位とかそれくらいだったのだ。

以前の感覚でいえば3位か4位くらいまでいけるであろうスコアの水準で、10位とかそれくらい。
すなわちそれがそのまま、IR不参加の間に上がったレベルの分そのままだったのだろう。

私は今まで、一通り埋めた水準からスコアを必死で捻出するという取り組みをしたことがない。
なのでここから順位を上げる自信がこの時点では全くなく、こんなに勝負にならないのかと愕然とした。


そこからはとにかく必死である。あらゆる手段を尽くして100点でも多く捻出できるよう工夫するとともに
恐らく自分自身がIR期間中に上手くならないと、この差は埋まらない。
ドラムのスキル上げよろしく、この時期はとにかくIRしかやらなかった。
「チャレンジをやった100円でもしIRをやっていたら、その回で自己ベストが出ていたのではないか?」
と思うと、怖くてやれなかったのだ。


覚えている範囲では、なんとクレヨンしんちゃんで1個捨てオブジェをしたり、
(37同時押しの8分刻みに1回5が間に挟まるところがあり、その5が一生光らなかった)
結局ランダムでええやん、と気づきランダムにし、以降正規ミラーがしっくり来ない曲ではガンガンランダムを使う。
(とはいえ今見直すと、特徴的なのはアカペラくらいだったみたい)

そしてIRを1日みっちりやると、次の日は手が痛くてプレーできなかったのだが
この頃から夜アイシングをして寝るようにした。
氷水を握ってタオルを巻いて寝るだけで、そりゃもちろんなんだか恥ずかしい取り組みなのだが
たった5分の努力で連日IRをやり込める(絶対連日やりたい日はあるはず)のだから、とダメ元でやったことなのだが
これが見事に的中、連日やっても全く手が痛くないのだ。


今までどこかの期間でぱーっとスコアを揃えて終了、だったIRだが
今回は少しずつ地道に点数、そして順位を上げていく。

これまではIR終了くらいにようやく全曲のリズムを丸暗記できるくらいだったのだが、今回はかなり初期にその段階になり
ある程度の水準で揃えてからでも努力次第でまだまだスコアは伸ばせる、そして自分のポテンシャルもまだまだ捨てたもんじゃない、
とやるたびに実感が持てる、充実のIRだった。
上位をひとりずつ着実に捕まえていき、終了間際にはついにY.Sを捉えて3位に浮上、2位のTART先生まであとわずかとなった。



しかしここで、とても悲しい事件が起こる。
その日のことは今でも鮮明に覚えている。


IR最終日、私はべネクス松戸でHELLと遊んでいた。
もうIRはほぼやりきったという状況、ちょっとスコアが伸ばせる自信はなかったが
何かヒントが掴めたら、と思い足を運んだのである。


ああもう、書きたくない。
一息いれようと駐車場にいったらみんながいて、ちょっとだべっていたところでHELLに電話が。
話を聞くとどうもTART先生からで、HELLがなんだか怒っている。半笑いだが目が笑っていないというやつだ。
「いやそりゃもう見たら分かるに決まってるじゃないですか」とかなんとか。温厚な彼のこういう口調は、あまり聞かない。


慌ててIRを見ると、私はTART先生に大きく引き離されていた。そればかりか
HELLを総合で抜き1位となっていた。1日で1万点以上の更新である。
その段階でHELLにはピンときていたらしいが、私はその瞬間はちょっとわからなかった。
今スコアを見返すと、確かに不自然なものが多い。譜面があんなに拾えないタイプのTART先生にしては、高すぎる曲がちらほら。


私の知る限りでは最後の、IRにおける2人プレイによる不正であった。
それも「数コースに渡って」「2位の人間が1位を取る」という、もっとも悪質なものであった。
そしてやってしまった後に罪悪感に駆られて、HELLに電話をしたという経緯だったのだ。


HELLはこの事件に心底嫌気が差し、IR引退。
私にとってIRにおける最大の目標が、目の前で引退を決意した。少なくとも次回作のIRは、ちょっとやる気になれなかった。

私個人としては、TART先生という人間はとても好きだ。天然を絵に描いたような人で、まー一緒にいて会話がかみ合わず面白い。
聞けば仕事の多忙さその他様々なストレスに苛まれての行動だったようなのだが、もちろん絶対に許せないことであるとともに
なぜ彼がこんなことをしたのか、理解ができなかった。


彼の1位が不正によるものだ、という事実は、広く公になることはなく、主に上位陣とその周りにて話が留まることとなった。
当時IRをやりこんでいた人間、それこそ例えばねじやTOBAは覚えているんじゃないだろうか。
緘口令を敷いてやる義務なんてこちらにはないし、それどころか我々は被害者だ。
しかし一人の個人、しかもそれなりに親しい一個人が、あまりにも過剰に
不特定多数に悪評を広げてしまうことも、本意ではない。


ではなぜ、今になってこんな話をここに暴露しようと思ったのか。
どう考えても、「書かずにいられなかった」以外に、説明のしようがない。
自意識過剰もいいところなのかもしれないが、これを今記しておくということのどこかに
当時を精一杯生きた人間なりの、義務のようなものを強く感じたからなのだろう。
それが正しいのかどうかまで、ちょっと考える余裕がなさそうだ。


さて、IRだけでこんなに長くなってしまった。
IR終了後に新要素が解禁。一世を風靡することとなる、ネット対戦モードである。

ネット対戦初日は(今は無き)池袋フジでだーくと2人で篭ってプレイ。
これはオジャマなしでやるもんなんだろうなーと思って1クレ目からオジャマを全て外したのだが、
初日ということもあり基本みんなフル装備。
フジタカとTOBAを同時に引いたが、両者ともにフル装備。TOBAにDDRの低速中にバラスピ打たれた。
(1週間後くらいにやけに神妙にメッセで謝られた)


自分としては、なんだか裏切られた気分でとても不満だった。
しかしレギュレーションとしてなんら違反をされているわけではない、ただのこちらのわがままである。
だからしょうがないと思いつつ、ガチ3人でのネット対戦ができたら絶対すごく楽しいのにと
それを追い求めるだけの理由でクレジットを積み重ねる。


この日の最後、だーくのプレイにて、新潟のランカーDON!氏を引く。
最後まで非常に熱戦、確かミスティEXだったと思うがだーくが自己ベストを出す。
力の拮抗した両者が戦う中でお互いが自分の限界を超えた力を引き出せる、という、
いわゆるミックスアップというやつが起きていた。


こんな見ているだけでも楽しい対戦ができるなら、実現までにお邪魔をどれだけ打たれようとも
自分はこれを追い求めるためだけでもネット対戦に入ろう、と思った。
とはいえやはり、お邪魔を耐えて凌ぎ続けるのもやる気が充実しているときでないといかにも辛い。
なので両立させて、発狂練習にも取り組んでいくこととした。


この時期、43というプレイヤーが釈迦EXフルコンを達成。
これがあまりに革命的すぎてみんな真似した。結果恐らくこの作品内に20人近くの釈迦フルコン者が現れる。
どれちょっと俺もやってみるか、とやったところ、フルコンは結局できなかったのだが
それより妙に点数が伸びている。

指が使えるようになった効果が、このレベルの譜面でもはっきりプラスに現れたのである。
そしてオイ0を試しにやってみたが、何度やっても9万点を割らない。
(「あなたまだ全一だよー」とかってI.MCに褒められた)


長く縛られ続けたオイ0の呪縛から、勝手に自分で自分を縛り付けていたものから、ようやく解き放たれたような気がした。
これで晴れて、自信をもって選べるんだ、と。
この頃からグランヂランダム練習などもちらほらと始める。
発狂でもまだまだ戦えるんじゃないか、と自信がついたのだ。


イベントとしては、友人の帰省に乗っけてもらい
ラオウの地元静岡の藤枝ミラクルに、2泊3日の遠征にいった。
この3日間のラオウとの店内三昧は非常に楽しく、いい刺激になった。
というか静岡の人たち、会話が楽しすぎるんだよね。

ラオウと最後にあったのは確か第8回だか9回だかの裏塔劇のとき(トライ入り口付近でばったり会った)だと思う。
彼は上位陣最年長プレイヤーとして長いのだが、まあどうせまだやっていることだろう。



ポップン13カーニバル 屈辱と衝撃の第1回トプラン


2005/09/07にリリース。今回はIRは不参加。
IR粘着は確かにスコア力の向上にはよいものの、明らかに発狂を拾えない譜面の取り方にもなるので
毎回やるのはバランスが悪いかな、という実感もあり今回は見送り、発狂練習に重点を置くことに。


特にカーニバルからは超チャレンジモードが実装。COOL判定ありのチャレンジモードである。
これで全曲のCOOL判定のスコアの自己ベストが残るようになったこともあり、IRに固執する必要がなくなったともいえる。
稼動直後はとにかくメルトEXとメガネロックEXをやりまくっていたらしい。
あかお氏に撮影していただいたメガネロック99の動画(22-0-0だっけな)がちと好評だった。


初~中期はどちらかというと、同時期の2DX HAPPY SKYを頑張っていた。こちらは唯一DJポイント上げに取り組んだ。
とはいえドラムマニアと違い全曲埋めが必要なDJポイントはいかにもしんどい。
結果的には未フルコン100曲近く残して終えてしまう。これはちょっと私の手には負えなかった。


後期はKONAMI音ゲーにおける一大イベント、第1回トップランカー決定戦が開催。
この大会、自分にとっては非常に大きな転機となった。


最初は人づてにこの開催を聞いた。
コナミネット登録をしていることが参加の条件とあったので、まずはそちらを済ませる。
そして課題曲がスキップH、SFポップH、ヒップロックHの3曲とのこと。
ひとまず全て満足いくまで1日で埋めてY,Sに次ぐ関東1エリア2位に。

予選最終日に気合を入れて詰めて、Y,Sは抜けず2位のままだったものの満足のスコアに仕上がった。
(なお全国では、ひとつ上にY.Fを加えて3位)
スキップH2個、SFポップH6個、ヒップロックH20個。SFポップだけ若干不満足か。
とはいえ本気で頑張ったリザルトは今でも覚えているものである。


通過12名中、予選を行い上位4名で決勝トーナメント。レベル40制限で自由選曲だったかな。
ポップンはそのゲーム性の関係で、知らないと大差がつく曲が低難易度にも(低難易度にこそ)沢山ある。
ということでこの対策が非常に大変。しかし出るからにはやらなければ、と
参加者のリサーチから始め一通りこなす。

有名どころのコサックN・Hやクラ8N・Hなど、まずはひたすらソフラン系を。
全体的にコンボ精度は一旦忘れて、素点のみを重視するよう意識を変える。
そして自選曲探し。幅広く色々やった末、979出たゴエモンEXと975出たエレジィEXを軸に選ぶと決定。


当日課題曲としては、事前にシンフォHだけが明らかになっている。
こちらの準備より、自由選曲となる決勝トーナメントに準備の比重を割いていたのがアダになり
972、全体でも確か12人中8位とか?のいまいちな立ち上がりになり内心焦る。


2曲目、クジで選ばれたのはハイパーマスカレードEX。初見の譜面である。
2曲目3曲目がクジというのは聞いていたが、基準が全く分からないので対策しようがなかった。
しかし新曲のEXくらいは、どう考えても全て目を通しておくべきだった。


それでもこれくらいの難易度なら初見でもさほど変わらないだろう、と開き直っていたが
点数が欲しくて焦って付けた紙が大失敗。
2台の筐体を使って予選を進行していたのだが、右側は通常で左側は足に木の板を噛ませていた。
このため若干高くなっており、その分目線も違う。そのあたりに惑わされて、紙をかなり深く付けてしまっていた。


曲が始まってすぐに明らかに速いことに気づきパニックに。しかし初見なので、紙を外せるタイミングもわからない。
もうプレイ中から「紙つけなきゃよかった」という後悔、転じて「早く終わって欲しい」と逃げの思考に。
結果946という全くお話にならないスコアで終了、終わった直後紙をくしゃくしゃに握り潰してぶん投げた。


自分の音ゲー人生で最大の、屈辱の体験であった。大げさにいうなれば、音ゲーって言葉は抜いてもいいくらい。
関東1では優勝したY.S以外にも友人のだーく、発狂最強のYATHといった強豪が多数出場していた。
彼らと真っ向勝負した末に敗れるなら全然納得がいく。しかしこれは、ただの自爆である。

自分はこの大会に強い思いで臨んだのではなかったのか。誰が上がってもいいようにみっちり対策をしたがその実、
少し立ち上がりに失敗しただけで簡単にミスを犯すほど冷静さを欠いていた上、その中でも
必死で頑張ろうというがむしゃらさもなく、逃げ出したい気持ちになっていた。これでどうやって勝つっていうんだ。


決勝大会は横浜BLITZで行われた。
私は知人のチケットの2人招待枠を頂いて観戦(誰ので行ったのか忘れた)。
勝敗は別にせよ、自分があの舞台に立つチャンスもあった戦いを、ただの傍観者として眺める悔しさはひとしおであった。


そしてポップンはY,S、POKO、Y.Fが決勝勝ち上がり。
ここで事件が起こる。3人が友人関係であったことがめちゃくちゃアダとなった。
発狂が極端にできないY.Sに対する配慮で、全員ランダムセレクトのスパ乱対決とかいう茶番をやり始めたのだ。


実は事前に客席で、すでにそういう考えがあることを人づてに聞いていた。
いやいくらなんでもほんとにやんないっしょと思っていたのだが、これが現実である。
周りの友人はみんな怒り心頭だが、私はなにか他人事のように眺めていたのを覚えている。
これはこれで決勝にまで勝ち進んだ彼らの権利なのだから。

彼らは決勝の舞台で、それまでに敗退した全てのプレイヤーを冒涜するようなプレイをした。
しかしそれを止められなかった原因の一端は、自分にもあるように感じたからなのだろう。


そんなこんなで、ポップン部門は全然印象に残っていない。
(決勝の件は後ほど、参加者に神妙に謝られた。なんといっていいかわからなかった)

ギターは私がそんなに上手くもないのであまりわからず。
ドラム部門はちっちゃいころから江古田で見てきたNAOTO(BEATDOWN)が優勝。
今大会で嬉しかったことはほんとこれだけだった。優勝者にふさわしいプレーに会場中が沸いた。


しかしクライマックスは、最後に訪れた。
1048氏との熱戦を制し、2DX部門で優勝したSILV(FINE)。彼が優勝者インタビューにて、音ゲーからの引退を発表。
自分にとって常に目標(とすらいえないくらい高い、教科書のような存在)であったSILVの引退は、
ポップンの決勝の茶番など全て吹っ飛ぶくらい衝撃的であった。


「好きなものに取り組む姿勢、それに対する飽くなき向上心。
「上手くなるために必要なことだけを純粋にやりこむ」ということに関して、彼は間違いなく天才でした。
僕は「努力の天才」という言葉を良く使うけど、彼はそれを体言する人物だったと思います。

うまくなるために必要なことって、難しいようで実は簡単で、誰にでもわかることです。
デラならランダムでどんな譜面がきても叩けるようにする。それを色々な種類の譜面に対して繰り返す。運指力に関してはイメトレも。
でもそれを純粋に繰り返し練習するのは茨の道です。誰もがどんな譜面でも叩ける上手いプレイヤーになりたいと願いながら、
そうなるための努力となると、躊躇してしまう。

そういう努力が出来る彼は確実に、俺にないものを沢山持っている人間です。 」


当時20歳の私は、mixiの日記にこう記していた。
一人称くらい統一しろよ!と思わんでもないが、当時の率直な感想なのだろうと思い、引用しておく。


私はこの日、いくつかのことを決心した。
まず、もうだらだらと音ゲーを続けるのはやめようということ。
あるかどうかもわからないが、第2回トップランカー決定戦に優勝してこのゲームから一線を引く。
それを目標に頑張ろう、と決めた。
1年先か2年先かはわからないが、その時点で自分ができる範囲の努力で現実的な、完成型を目指す。
もうこれ以上は無理、とやりきるくらいの努力を、音ゲー人生ラスト1年だか2年だかで、きっちりやりきって終わろうと。



ポップン14フィーバー フルコン埋め開始、てつおの台頭


第1回トプランの2ヵ月後、2006/5/17にリリース。
2作品空けるとスコア力が追いつかなくなりそうなので、14はIR参戦。


この頃からオイ0ランダム練習を平行して行う。
最初はクリア率3割とかだったと思うが、気にせずガンガンやる。IRとオイ0ランダムというかなり極端なプレーで回していたが
IR一本に絞ったほうがよかったのだろうか?結果がY.Fに若干届かずの3位だったので、若干悔いが残るところである。


しかしそれ以上に、充実感が残っている。というのも、おおよそ全コース理論値クラスで揃ったからだ。
ガールDEフィーバーコースは1曲目のハイスピードラブソングが2回目のスコアを上回れないばかりか、
近い水準のスコアすら出ない。30回くらいは連続で捨てゲーしたのを覚えている。

そしてようやく自己ベ-1個が出て揃ったところで、ラストのトライユーロが大ハズレで終了。心が折れかけたが
めげずに続けて全曲自己ベスト付近のスコアで揃う。悪夢がよぎるトライユーロを迎えたときは震えた。
決して得意なコースではなかったので順位としてはちと差をつけられた3位だったが、自分としては大満足だった。


他には強く覚えているのが浪漫DEフィーバーコース。3曲目まで完璧に揃い
4曲目のアリプロH99以上で全一という条件で迎え、ランダムでやばい配置を引いて986で終了。
正規ミラーがあまりにも光らないためランダムは仕方なかったのだが、こうなるとやはり悔やまれる。
しかし久々の第1期IRコース1位がかかったプレーはさすがに震えた。その中でもひどい配置の中で最善は尽くせたし、
この「戦ってる感」はほんとに楽しい。IR終了5分後におしゃれDEフィーバーコース500点更新したが反映されず終了。


ネット対戦が同時に開催されたが、ここからは発狂練習に移る。
オイ0ランダムがようやくクリア安定、pfやグランジ、シンフォ2など高難易度ランダムツアーでみるみる地力が上がっていく。


そしてフルコン埋めの開始。きっかけは、何気なくやったコンポラ1EXがミラーでまぐれで繋がったことだった。
このレベルがスパっと繋がるくらいだったら、頑張ればちゃんと埋まっていくんじゃないかと感じたのだ。

レベル38あたりからスタート。こっから下はまあ、やってもしょうがない。
オプション吟味、早め取りやちょっとした取り方の工夫(赤を1回左手で取るとかで全然見え方変わったりする)、
譜面眺めて部分餡蜜やランダム配置読みなど、ありとあらゆる術を駆使する。
こういう方針になったのは、やはり身近にいたしおまるの存在が大きかったのだろう。


このころから、どうも関西にてつおという上手いプレイヤーがいるという話をちらほら聞き始める。
最初に聞いたのはハッピーキュートコア989とかだったかな。
これだけじゃ発狂できるタイプなのかスコアラーなのかも全然わからない。

その実態をこの目で確かめる機会は、意外に早く訪れた。
2007年1月に行われた大会、第2回日本ポップン化計画である。


この大会はごろー君主催、予選大会を4店舗で行い(立川と川越とあと2つは忘れた)、上位2名が勝ち上がり。
それに当日予選2人と関西からの特別招待枠2人で12名による本選、というシステムとなった。

私は立川で優勝。予選のダークネス2Hが自己ベストの992が出てそこからも特に危なげなく通過。
2位のだーくと共に本選へと駒を進めたのであった。
予選は川越マグマ予選でげんねじの応援にいったのだが、同級生が店員をやっててバッタリ会う(ポップン1の項目参照)。
ボソっと「音ゲーの大会って、実況とかないんだねぇ」っていわれたのが結構ツボった。


そして決勝大会。関西からの招待枠2人が、たぬとてつおだった。まあこれならそりゃ不満はない。
特にてつおは公の舞台で初のお披露目、会場中が注目する中すさまじいプレーの連発である。
1回戦で不運にもてつおと当たってねじが脱落、2回戦ではCOLORSのトリル地帯全ピカで会場が震える。余裕の決勝進出。
私は1回戦でレツ、2回戦でISAPを倒して決勝へ。UME、TOBA、てつおの3人で決勝であった。


ひそかに練習していたオイ0正規(部分的にあんみつをいれつつ、正規で交互連打ベース)に全てをかける方針。
しかし1曲目のガガク、2曲目のpfで8500点も離される。当時の判定で一発でpf953は、ちょっと強すぎる。
オイ0はてつおが14絡みのハズレを引き若干チャンスがくるも、6000点ほど詰めるのが精一杯。2500点差の2位に終わる。


結局フィーバーの最中には、第2回トプランの開催は発表されなかった。
しかしきっと来年には開催される、そのときにはてつおが最大の敵となるだろう、と強く意識し始める。
彼に勝てるプレイヤーになることを目指す、という明確な目標を得て、モチベーションも高まりぐんぐん成長していく。
若干の運指改造にも取り組み(12や89で手首返さなくなったり、2468を人薬で取るようにしたり)、
徐々に完成系が見えてくる。


この頃には、発狂練習も形が定まってくる。
あまり他に意識している人がいなさそうな、私独自の理論としては以下の2つ。


・ウォーミングアップの1クレ目曲固定

この時期は1曲目pfランダム固定、3曲目プロバロ固定。2曲目はシンフォ2が多かった。
ADV以降はpf-ラウラガ-プロバロ-ニテンテ全ランダムの時期が長かった。後にpfがカイジュウになったりする。

この方法が全ての人にとってベストでは恐らくないという前提で書く。
私は発狂ランダムに関しては完全に運動量タイプで、汗をかき始めてからようやく体にキレが出てくる。
なので過程はすっ飛ばしていち早くその状態に持っていくということで、最初からレベル42ランダムに突っ込むのが手っ取り早い。

自分の状態でスコアが大きく変わってしまう顕著な例として、私にとってはpfランダムのスタート部分があった。
体が動く状態になったらどんな配置が来てもGREAT以上で拾えるが、1クレ1曲目だと当たっても反応が遅れるぐらい。
なのでまずはpfランダムの最初を全力で食らいつき、ラストのおかわりまでに体を温めるという意味でpfが適任だった。


2曲目はもう少し速いのを見えるようにしたいので、この時期はシンフォ2、後にラウラガになった。
ラウラガは体力系でBPM180を若干ながら超えるのでこれが適任、長いことお世話になった。
3曲目のプロバロで仕上げ、EXステージでは後にニエンテランダムになるがこれはちゃんと頑張らないとクリアが若干危険。
一番頑張っていたときはしんどいながらこれくらいやっていた。


曲を固定した意図は、スポーツの世界でいうところのいわゆる「ルーチンワーク」を真似る意味があった。
常に同じ作業で取り組むことにより、それが終わったときに常に自分を同じ状態にもっていくことができる、という
自己暗示も含んだ取り組みである。

これによって以前は「調子がいい日に」「連コインしまくって」自分の状態をベストにもっていけるかどうか、だったのが
いつやっても常にベストの状態に、「意図的に」持って行ける様になった。
これによってリザルトの質やそれに伴うモチベーションの向上は著しく、かなり成功したと実感している。
なので私は基本的にこういう方法を人に薦めている。


・全押し理論


曲が始まる前や終わった後など、何気ない時間に常に全押しを練習した。
運指は左が肘ありで1234、右手肘ありで5679を取り、小指をグイっと曲げて8まで持っていくしおまる式。


全押しが拾えるということは、全押し体制で構えていれば
理論上どこに譜面が降ってきても拾える、ということである(もちろん、そんな簡単な話じゃないが)。
なので全押し感覚を養い、発狂前など瞬間的に全押し体制を意識して構えておくことで
譜面を拾う精度が上がるのではないか、という一見トンデモな独自理論である。

だがこれが意外と効果があった。4個同時押し以上が降ってくることがわかっているときに
瞬間的に全押し体制を取る事によって、とっさの無理押しでこぼすということがかなり減ったのだ。
両肘派にはオススメの練習である。片肘派だともう少し柔軟に構える方向性のほうが良いだろう。


こういった理論の確立もあって、練習の方向性が定まったのが大きかった。
みるみる成長していく中、次回作の稼動を迎えることになるが・・・。
  1. 2015/12/08(火) 08:42:27|
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ポップン9~11


ポップン9 オイ0で味わった最初の挫折


2002/12/26リリース。新要素としてはe-amusementサービスの開始と、それに伴うカードシステムの導入。
カードの特典としてハイスピード×6,×8がついてくるものは大人気だった。


昨今こそ「カードにフルコンマークを残す」ということの価値が広く認識されるようになったが、
やはりこれも「それ以前」を知るものとの感覚の違いがあり、私は
「どうせ覚えてるんだからいいんじゃない?」という程度の認識しかなかった。
以後作品が変わるごとにカードを買うのだが、引継ぎをしばらくしたことがなかった。

もしちゃんと引継ぎを続けていれば、後に頑張ることになるフルコン埋めの苦労がだいぶ違ったことだろう。
とはいえ、それだけおおらかな時代だったのだから仕方ない。
さらに言えばしょっちゅうカードを無くしていたような気がするし、私にはそんな未来はなかったのだろう。


稼動直後、幻の全国大会というのがあった。
全国指定店舗で行われ、エントリーは自由。トーナメントで両者くじ引きで選曲、2曲同点ならじゃんけん。
つっこみどころしかないこのルールだが、ちゃんとコナミ公式大会である。
そして決勝だけは全店舗統一でハイパンクH。これのスコアで全国の優勝者を決めようというものだった。


私は池袋モアイで参加。トーナメントの途中経過は全然覚えていない。
決勝はHELLとの一騎討ちとなり、先行の私が10万点を取りプレッシャーをかける。
HELL氏が道中ミスをして勝利、10万点は全国でも私が単独で、全国優勝を成し遂げた。

うーむ、こう書いていてなんだか突っ込みどころが満載である。
今調べると、公式HPなどは一切残っていない。もしかして私の夢だったんじゃないかとすら思った。
唯一ひっかかったのはえすきがどっかの掲示板に「UMEさん優勝です!」って書いてた記事くらいだった。
まあ公式にとっても黒歴史だったのだろう、ここでもあまり追及しないのが大人の優しさか。


IRはHのみ参加、マスターズH3位。2位はフジタカ君に明け渡すことに。
(曲に関して今振り返ると、オバQにめちゃくちゃてこずったことを真っ先に思い出した)
しかしここで一つの事件が起きる。2人プレイの不正が行われたのだ。


詳細をここで名指しで書くことは本意ではない。あくまで私の知る限り確実な、というだけで
恐らくポップン6のHELLコース等は、不正が結構いたことだろう。
とはいえ2人でやることと、2人でやったスコアをあたかも1人でやったかのように装うのは
全く別の話である。

個人的には、事件としてはもう時効でよいと思う。
しかしながら人の信用を時間が担保することは決してない。
あのときIRを頑張ったみんなが感じた怒りや悲しみは、忘れることはあっても無くなることはない。
そんなことを記したくて、迷いながらこのことを書くに至った。
以後これまた私の知る限りではポップン12まで、IRと不正問題というのは切り離せない話として続いていく。


ポップン9の店舗対抗イベントは、当時を知る人間であれば誰もが苦い思い出として残っているであろう
「たたかえ!ギャンブラーZ」である。
「不思議のダンジョン」シリーズのようなマップを、クリアした曲数分のマスだけ進み
宝箱を空けて隠し要素を解禁させていくようなシステムなのだが、
迷路のような容赦のない分岐が存在し、残る隠し要素があとわずかというところで
進路を間違えると途方も無いロスになる。

「ココの分岐にきたら、絶  対  に  こちらに進んでください!!!」
みたいな張り紙をした店もちらほらあったとか。
あの不思議な殺伐感がなんだか今振り返ると笑えるものだが、当時みんな必死だったのだ。


そして、奥まで進んでいくと「ボス」が出現する。
ボスは強制オジャマ付きで、ターバンEXやピラミッドEXといった追加EXを特定のオジャマ付きでやり
クリアできたらボス退治、その譜面が解禁となる。


池袋モアイでウオヲを倒してオイ0を解禁させたのが、実は私である。
強制お邪魔2倍付きで恐ろしく早い。初見なのもありBAD70ほど出たが
ボス戦使用の特殊ゲージの恩恵もありなんとか越せた。
そして解禁したオイ0を改めてやったのだが、BAD50弱の逆ボーダーだった。
ミラーにして数回やってBAD20くらいまでは減ったのだが、全く手ごたえが無い。


当時私は全くといっていいほど指が使えなかった。
クラ4の木琴押し動画を撮ったのは丁度この頃だったのだが、あの叩き方はネタではなく大マジで
あれが自分にとっては最善の取り方だった。
指を器用に使う自信がなかったから、
「何度やっても必ず成功するような叩き方を目指す」という方向性にいき、それが木琴押しだったのだ。
(ちなみに動画のBAD1はぶっちぎりの自己最小、終盤「うおぉっww」って叫んでるのはSILV)


しかしそれは、あくまで一本の階段に両手を割ける程度の密度の譜面にしか通用しない。
譜面のレベルがそこまでに達したら使えなくなる方法だと知りつつも、オイ0の難易度があまりに高すぎて
私は「これを機に指でのトリルを練習しよう」と切り替えることができなかったし、
ランダムも基本的には越せないとあって、
練習して譜面を拾う能力を高めようというモチベーションが沸かなかった。


何故かといわれたら難しいのだが、しいていうなら
自分はあまり苦労することなく、早く、簡単に上手くなりすぎたんだろうと思う。
そして、それを誇りに思いすぎていたのではないだろうか。

だからこそ、自分のテリトリーに納まらないこの譜面を、「別のゲーム」だと認識することで
自分を納得させようとしたのではないか、と当時のちっぽけな自分を振り返って思う。

あまりにも異なる技術体系が必要なこの譜面を、当時の自分が「許せなく」思っていたことは強烈に覚えている。
そこで「新しい技術を身につける大きなチャンスがきた」とワクワクできなかった自分は、
やはりトップの器ではなかったんだろうな、と思う。


この辺りからポップンのモチベーションが低下し始め、
どちらかというと2DXに傾倒していったと記憶している。
8thの終わり頃に始めたSILV式指固定も定着しはじめ、クリア能力に格段の進歩が見られ
デラがいよいよ面白くなってきた時期、特に身近にいたSILVの存在は非常に大きかった。
彼の2DXに取り組む姿勢は真摯そのもので、多くの人に影響を与えたのもうなづける。


私が今のポップンのプレイヤーに残せたものなど、あるのかどうかすら分からない。
しかしSILVの存在は、DOLCE.氏の台頭、活躍と真っ直ぐ繋がっているはずだ。
それだけ偉大な人物であったと、声を大にして言える。面と向かっては一生言わないが。


この頃、初めて遠征というやつに出かけた。行き先は名古屋と三重。ちょろっと大阪と兵庫。
名古屋で遊んだ工藤、TIME君、まこさん、三重で遊んだZENO君SERA君。
岐阜のねこやdis君にもお世話になった。

福島ではFJTKとバケツさん。アテにしてたネカフェに泊まれなくて、
途方にくれていたところを助けてくれたSUEさんとバケツさんには心から感謝。
でもバケツさんはこっちがガンはまりして出たHIGH(A)を2回で抜いたり、カードネームUMEPYにしたりするから嫌いだ。
(あれのせいで「UMEさんってDPもめっちゃうまいんすね!○○全一見ましたよ!」とか何回かいわれて笑った)



ポップン10 唯一のスキル上げに没頭


2003/8/6にリリース。
稼動直後のIR期間前~中あたりだったと思うが、茨城の水戸にHELLとプチ遠征?にいった。
今年の夏の暑い日に買ったCoolishを見て、これ買うの水戸に行って以来だなぁ、とふと思い出した。
KYONさんというIRランカーの方に会いにいったのだが、どうも行った先のKYONさんのホームゲーセンの
人間関係の模様がよろしくなかった。
女性の店員とその取り巻きが幅を利かせていて、みたいな話だったのだが、
「オタサーの姫」の走りだろうか、今思えば。


IRは当時恐ろしくお金が無く、ものすごくプレー回数を絞った強行軍のトライとなった。
マスターズH6コースに対し1500円、15クレで仕上げた。
ウーマンコースH初見、ライジングHコース6クレ、それ以外は2クレずつ。
これで2位のフジタカ君と1500点差の3位なのだから上出来だ。


やはりこれも当時の私の悪癖で、もちろん少ない試行回数で最善の結果を出すことも難しいし価値あることだが、
2,3回目に一度高い水準でスコアが揃うのは誰でもそうで、そこから数十クレ掛けてスコアを捻出していくことこそが
一番難しく、そしてそれこそが上達に繋がるのであり、それがIRをやる最大の意義なのだ。

少ない回数でまとめたところで、それは現時点での順位が明らかになるだけのことであり
せっかく自身の上達に使える大きな機会を、私はこうやってフイにしていたんだなぁ、と反省する限りである。


今振り返って、ポップン10はあまりにも覚えていることが少ない。
何故かと思って音ゲー年表を見たところ、この時期はDrummania9thにて人生で唯一、スキル上げを頑張ったのだ。


私は生ドラム経験者であるが、ドラムマニアにあまり自身の適正を見出せないでいた。
特にコンボが繋がらない。部分部分は上手く叩けるところもあるものの、どうでもいいところでぶちぶち切る。
ドラムを叩く、ということとコンボを繋ぐということが、生ドラムの経験が邪魔をして共存させられないでいた。

しかしそんなのはやりこんでいなかったが故のこと、というだけであり、
きっかけこそ忘れたのだが、やり始めたら自身がドラムマニアに適応していく快感に夢中になるのだった。


スキルポイントのシステムを理解し、取り組む曲を家で2曲予習。1曲仕上げてもう1曲手を付ける。仕上げると決めた曲は繋がるまで帰らない。
曲目に関しても効率を意識し、例えばサンバキックが苦手だったので敬遠していたLA ARENA ROJAに手を付け、
手の回しもきっちり予習しておき、それなりの成果が出るところまでやったら帰宅、復習しつつ
サンバキック繋がりで強化版のYou Can't Do itに手を付ける、といった具合である。


ひとつひとつ潰していくごとに実感する自身の上達、それがSPにはっきり反映され
努力した分だけ結果が返ってくる。この感覚があまりに楽しすぎた。
結果私の周りでドラムのスキル上げをしている、私にアドバイス的なものをくれた人達を軒並みごぼう抜き、
最終的には確か1217くらい、70位ちょっとのところまで上がった。
(そしてその人達、私がSP抜く度に一人ずつちょっとよそよそしくなっていった)


この頃があまりにも楽しく、しかし同時に自身が積み上げたものとして愛おしすぎたのか
後の作品では、私は一切スキル上げをしなかった。
今にして思えばもちろんまだ伸びしろはあったと思うが、それでもあれだけまっすぐに
スキル上げという目標に向かって取り組むということは、毎作品同じ意欲を持ってできるものではない。

それは私のメンタルが弱いからだといわれると胸が痛いのだが、あのスキル上げを通して
「やればできる」という漠然とした自信を付けることができたように思う。そしてそれは、今でも残るものがある。
そういう大きなものを自分の中で獲得できたことで、スキル上げに関してはこの1回で満足がいったんだろう。


またポップン10では、第2回IR「リクエストコースランキング」が開催。
公式アンケートによるリクエストを受けて、選ばれたコースによって競われた。
今回はEXありなので自分としては有利な条件であったが、ここでも不正が横行。

結果アルカディアコース8位、マラソンコース2位、ポップン紅白コース3位、四大文明コース1位。
しかし四大文明以外3コースは上に少なくとも1人は多人数がいるような有様。


それでも出来は中々、特にマラソンコースは会心の出来。
2曲目のアニメRが最大の難関で、絶対にランダム当たり待ちをするべきと判断。アニメRはランダムしかやらなかった。
結果10回いかないくらい?でほぼ完全交互の当たり譜面を引き、93800点ほど。当時としては破格のスコアだった。
978-938-963-908とか、その時点では全て自己ベストクラスで揃い、1位の多人数と2300点差、
3位(事実上の2位)と9400点というIR史上ぶっちぎりの大差をつけた。

1位が多人数なのはみんなが周知するところであり、それと2300点しか変わらない私のスコアが全く疑われなかったのは
日ごろの行いがそれだけよかったのだろう、うん。
(偶然ながら証人いるけど)
他はポップン紅白、四大文明ともに初見でこの順位。発狂のCOOL判定はまだこの時期私がトップだった模様。



イベントとしては、「第一回日本ポップン化計画」に参加。
相当いい状態で臨み準決勝まで全てトップ通過だったものの、慢心が原因のミスで準決勝でHELLと仲良く敗退。
エキシビジョンでクラ4とオイパンク正規をやって会場が沸いたのはおいしかったが、悔しかった。
それにしてもHELLがサイン攻め(長蛇の列!)に遭ってるのは笑った。私はえすきの連れの方にネームプレートあげたくらい。


また同じ主催者繋がりで、ごろー君のネットラジオ「おじゃラジ」に参加。
反響がとてもよく、ちやほやされるのはやっぱ悪いもんじゃないなと有頂天になったりした。
今こんな30手前(公開される頃には30になってる)のおっさんが喋っても需要ないものね。



ポップン11 危機感に駆られた末の1日猛粘着


リリースは2004/03/24。今回はIR不参加。
さすがに15クレが捻出できなかったってことはないと思うので、やはりやる気が随分失われていたんだと思う。
それでもいざやるとなれば自分は未だに負けやしないさ、と正直舐めていた。
なんだ今振り返るとただの痛いやつじゃないか。


しかしHELL11(ねぶた-モンゴル-リンセイ-ナニヒー)と、周りのプレイヤーの上達でいわば「ケツに火がつく」ことになる。
HELL11簡単ですよー、とみんながいうのだが、私がやるとどれもBAD10以上出る。
モンゴルEXとナニヒーEXをチャレンジでやってどっちも95割った。
自分のほうが上だとタカをくくっていたTOBAやPOKOやRobo君は、みんなパフェないしそれに近いリザルトを出しているのに。


指を使って両手で多くの譜面を捌くということから、ポップン9のオイ0をきっかけに逃げ続けたツケがついに回ってきた、と強く実感した。
特に今回は、周りのみんながなんの苦労もなく叩けているということが大きかった。

こりゃ自分に合わないとかいってられない、今後はこういう傾向の譜面ばかりになるぞと本気で焦り、
ひとまず1日思いっきり頑張ってどれだけ追いつけるかやってみよう、と決心。
池袋モアイで昼から夜までひたすらモンゴルとナニヒーを交互に粘着。これ以外の曲もゲームも一切やらずぶっ続けた。


結果ようやく指押しのコツらしきものを掴み、BPM150台くらいまでのものを両手ともGREAT以上で拾えるくらいの精度になり
最終的にはどちらもチャレンジ判定で995を超えた。
1日でこれくらい伸びるなら俺も大したもんじゃないか、とか天狗になるより先に、
とにもかくにもほっとした、よかったまだこのゲームに俺の居場所はあるんだ、と安堵したことを覚えている。


この頃ポップン12でのIR参加を決意、と同時に恐らく
3位以上を狙うならかつてないほどの苦戦を強いられるのだろう、と覚悟させられたのだった。
  1. 2015/12/07(月) 11:25:14|
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